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「寛延〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

寛延の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
心中浪華の春雨」より 著者:岡本綺堂
寛延《かんえん》二|己巳年《つちのとみどし》の二月から三月にかけて、大坂は千日前....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
件がありましたから、お話し申しましょう。この事件は『御仕置例書』の日付けによると寛延元年九月とありますから、今からざっと百七十何年前、かの忠臣蔵の浄瑠璃が初めて....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
きい台石の上に高さ五尺ほどの楕円形の石を据えてあって、石の表には慈望遊謙墓、右に寛延○年と彫ってあるが、磨滅しているので何年かよく読めない。墓のありかは本堂の横....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
崎に渡来する僧侶で本国の方に名を知られたほどのものも年々絶えないくらいであった。寛延年代には幕府は長崎入港の唐船を十五艘に制限し、さらに寛政三年よりは一か年十艘....
相馬の仇討」より 著者:直木三十五
右衛門の女房は浮気者であったらしく、別腹の弟九郎右衛門といい仲に成ってしまった。寛延二年の暮の話である。翌年の三月、とっくから人の口にはのぼって独り「廉直なる」....
魔王物語」より 著者:田中貢太郎
。その中にあって備後国の魔王の物語は、ちょっと風がわりであるから紹介してみよう。寛延年間のことであったらしい。備後国三|次郡布努村に稲生平太郎と云う少年武士があ....
赤格子九郎右衛門の娘」より 著者:国枝史郎
何とも云えぬ物凄い睨視! 海賊赤格子九郎右衛門が召捕り処刑になったのは寛延二年三月のことで、所は大阪千日前、弟七郎兵衛、遊女かしく、三人同時に斬られた....
塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
人殺し/\と云って居りますが、往来は稀な山村で、名におう上野国東口の追貝村、頃は寛延元年八月の二日、山曇りと云うので、今まで晴天でいたのが暗くなって、霧が顔へか....
興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
た。明治三年に番士にせられていた。 弥五右衛門景吉の父|景一勤めているうちに、寛延三年に旨に忤って知行宅地を没収せられた。その子|宇平太は始め越中守|重賢の給....
老狸伝」より 著者:佐藤垢石
出水期には、激流が荒れ狂って、田地田畑からお城まで洗い去っていた。 かくして、寛延二年正月酒井忠恭は播州へ転封となり、その後へ松平大和守朝矩が来たり、この厩橋....
雪柳」より 著者:泉鏡花
川船中にて怪霊に逢う事、というのがある。 当時の俳諧師、雪中庵の門人、四五輩。寛延|年不詳、霜月のしかも晦日、枯野見からお定まりの吉原へ。引手茶屋で飲んだのが....
磯部の若葉」より 著者:岡本綺堂
きい台石の上に高さ五尺ほどの楕円形の石を据えてあって、石の表には慈望遊謙墓、右に寛延○年と彫ってあるが、磨滅しているので何年か能く読めない。墓の在所は本堂の横手....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
《きよのぶ》あり。その画《が》は元祖清信が歿年《ぼつねん》(享保十四年)の頃より寛延《かんえん》三年の頃まで続いて出《いで》しが故に、時として元祖清信の作と混同....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
なっているが、武蔵の死は正保二年であり、筆記者、豊田又四郎はそれから、百三年後の寛延元年に歿している人だから、おそらく嘘で、しかも又四郎の子彦兵衛、その子左近右....