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寛政
「寛政〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
寛政の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
る。神明の宮地から遠くない裏店に住んでいるおまきという婆さんが頓死した。おまきは
寛政|申年生まれの今年六十六で、七之助という孝行な息子をもっていた。彼女は四十代....
「明治十年前後」より 著者:淡島寒月
い西欧の文明を知った。私の家は商家だったが、旧家だったため、草双紙、読本その他|
寛政、天明の通人たちの作ったもの、一九、京伝、三馬、馬琴、種彦、烏亭焉馬などの本....
「戯作者」より 著者:国枝史郎
作者達はこの機会に失脚し、京伝一人の天下となり大いに気持を宜くしたものであるが、
寛政二年の洒落本禁止令は京伝の手足を奪ってしまった。 と云ってこれ迄売り込んだ....
「虎」より 著者:岡本綺堂
れ着いた。」 「大きい鯨ですか。」 「今度のは児鯨で余り大きくない。五十二年前の
寛政十年五月|朔日に、やはり品川沖に大きい鯨があらわれた。これは生きて泳いでいた....
「鼠」より 著者:岡本綺堂
りも、一つの大きい悲しみは娘お元のゆくえ不明の一件であった。 今から十一年前、
寛政四年の暮春のゆうがたに、ことし七つのひとり娘お元が突然そのゆくえを晦ました。....
「夢のお七」より 著者:岡本綺堂
の当時のお七の墓はよほど荒廃していたらしい。お七の墓が繁昌するようになったのは、
寛政年中に岩井半四郎がお七の役で好評を博した為に、円乗寺内に石塔を建立したのに始....
「壁の眼の怪」より 著者:江見水蔭
一
寛政五年六月中旬の事であった。羽州米沢の典薬|勝成裕が、御隠居|上杉鷹山侯(治憲....
「乳を刺す」より 著者:邦枝完二
の下へ灯ろうを掲げてあることとて、さながら群がる星のように美しかった。 明和、
寛政のころまでは、江戸の民衆は、急にこぞって家毎に高灯ろうをつるして、仏を迎えた....
「歌麿懺悔」より 著者:邦枝完二
。――」 のこのこと床から這い出した歌麿は、手近の袋戸棚を開けると、そこから、
寛政六年に出版した「北国五色墨」の一枚を抜き出した。それはゆうべ会った陰女のお近....
「葛飾砂子」より 著者:泉鏡花
左へ坐りかわった縞の羽織は大いに悄気る。 「とっさん、何だろう。」 「これかね、
寛政|子年の津浪に死骸の固っていた処だ。」 正面に、 葛飾郡永代築地 と鐫り....
「雪柳」より 著者:泉鏡花
したのが、半紙|綴八十枚ばかりの写本、題して「近世怪談録」という。勿論江戸時代、
寛政、明和の頃に、見もし聞きもした不思議な話を筆写したものでありますが、伝写がか....
「寛政時代の娘納涼風俗」より 著者:上村松園
月蝕は今迄余り多く描かれて居りませんから一度描いてみたいと胸に浮びましたのが動機です。 あの画は
寛政の頃の良家の娘さんの風俗で夏の宵広い庭に降り立って涼を納れて居ります時に「今....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
て、まるで別物の如く扱うという風はあまりなかったらしい。徳島藩にてはその後七年の
寛政四(宝暦元)年に、左の如き取扱い方を示している。 一、諸願之義は村役人添書に....
「特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
も手水せず、親族の忌服をうけず、又不浄を見て唾吐く事を知らず。 と云い、また、
寛政九年京都は人家へ交り居し穢多を御吟味ありて多く亡ぼしたり。誠に神国神孫の人と....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
が、関八州から甲・駿・豆・奥の十二州(或いは参遠の一部をも)の「エタ頭」として、
寛政十二年の同人の書上によるに、当時エタ・非人七千五百二十八戸を支配していた。ま....