寛永[語句情報] » 寛永

「寛永〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

寛永の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
おぎん」より 著者:芥川竜之介
元和《げんな》か、寛永《かんえい》か、とにかく遠い昔である。 天主《てんしゅ》のおん教を奉ずるも....
二つの手紙」より 著者:芥川竜之介
料を欠いているような始末でございます。ただ、私の記憶によりますと、仲入りの前は、寛永《かんえい》御前仕合《ごぜんしあい》と申す講談でございました。当時の私の思量....
忠義」より 著者:芥川竜之介
時に、判元見届《はんもとみとどけ》の重任を辱《かたじけな》くしたのを始めとして、寛永十四年島原の乱に際しては西国《さいごく》の軍に将として、将軍家|御名代《ごみ....
鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
に秀忠は将軍の職を辞して、家光が嗣《つ》ぐことになったのである。それから三年目の寛永《かんえい》三年六月に秀忠はかさねて上洛した。つづいて八月に家光も上洛した。....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
命ある限りは、科学技術の普及と科学小説の振興に最後の努力を払わん。 ◯ラジオにて寛永寺の除夜の鐘の音を聞く。平和来。昨年は「敵機なお頭上に来りて年明くる」と一句....
金魚撩乱」より 著者:岡本かの子
門学上の参考になる実地の経験を得たが、特に彼の心に響いたものは、この郡山の金魚は寛永年間にすでに新種を拵えかけていて、以後しばしば秀逸の魚を出しかけた気配が記録....
河明り」より 著者:岡本かの子
った。話のうちにも老主人は時々神経痛を宥めるらしい妙な臭いの巻煙草を喫った。 「寛永時分からあった菱垣廻船の船問屋で残ったものは、手前ども堺屋と、もう二三軒、郡....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
寺を語れば、行人坂の大円寺をも語らなければならない。行人坂は下目黒にあって、寛永の頃、ここに湯殿山行人派の寺が開かれた為に、坂の名を行人と呼ぶことになったと....
浮世絵画家の肉筆」より 著者:上村松園
も一覧いたしまして、少なからぬ面白みを感じたしだいです。 この肉筆物はもっぱら寛永前後のものが、中心に集められてあるもののようで、比較的錦絵の盛んだった近世の....
双語」より 著者:上村松園
一 又兵衛の展観が大阪にあったように聞きましたが、私は見ずにしまいました。寛永前後の風俗画の中で、又兵衛は特に傑出もしているようですし、数はそう沢山あるの....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
いた日本国じゅうの争乱も、元和元年の大坂落城を最後としてひとまず静謐に帰したが、寛永十四年の冬から十五年の春にかけて、九州ではかの嶋原一揆の騒動が起こった。それ....
白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
」 「旦那、どうか、なさいましたか、旦那。」 「うむ。」 踏切の坂を引あげて、寛永寺横手の暗夜に、石燈籠に囲まれつつ、轍が落葉に軋んだ時、車夫が振向いた。 「....
西航日録」より 著者:井上円了
野外の風景にはまだ春の気配も見えない。はるかに故国の三月の末を思い起こせば、上野寛永寺の山下に花を賞でる人がいるであろう。) ダブリンはアイルランドのロンドン....
鉄の処女」より 著者:大倉燁子
う機会はなかなかまいりませんでした。 やっと私の願いが叶う日が来ました。上野の寛永寺にお茶の会がありまして、智恵子がそこへ行くということを、新聞で知ったのです....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
ことも思い出した。こういう時に投げる銭は今のように一銭銅貨ではない。大抵は五厘か寛永通宝である。その又穴銭の中の文銭を集め、所謂「文銭の指環」を拵えたのも何年前....