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「寛永通宝〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

寛永通宝の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、一つお見舞」 と言って、はっと気合をかけると、予告の通り三ぴん氏の額の真中へ、寛永通宝子がぴったりと吸い着く。 「そうら見ろ、お次ぎはこっちの三下野郎、イヤに....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
した。 ここでちょっと思い出しましたが妙なお話がある。それは師匠が生前丹精して寛永通宝の中から、俗に「耳白」という文銭を選り出しては箱に入れて集めておられ、そ....
人身御供と人柱」より 著者:喜田貞吉
。墓地説もあるらしい。傷死者を埋めたという説もあるらしい。しかしその伴える古銭が寛永通宝鋳造以前の通貨であって、その埋葬がそう古いものであるとは考えられぬ事にお....
下頭橋由来」より 著者:吉川英治
ら、もう二年にもなる。 その間ずうっと、彼女は家を出るたび帯の間へ、穴のあいた寛永通宝を一枚ずつ、入れて行くのを忘れた日はなかった。 「あんな、張合いのある乞....
特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
名も見えている。銭座とは六条村の南方郊外妙法院領の地で、寛文二年に大仏を鋳潰し、寛永通宝を鋳た場所である。これよりだんだん居小屋地南に延びて、遂に八条通りにまで....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
ことも思い出した。こういう時に投げる銭は今のように一銭銅貨ではない。大抵は五厘か寛永通宝である。その又穴銭の中の文銭を集め、所謂「文銭の指環」を拵えたのも何年前....