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「寺塔〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

寺塔の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
の胞衣《えな》を埋めたる跡と言い伝え、なかなかの大社にて直立の石段百二段、近村の寺塔よりはるかに高し。社のある山の径三町ばかり全山樹をもって蔽われ、まことに神威....
旅日記から」より 著者:寺田寅彦
プラや楊の並み木がある。日が暮れかかって、平野の果てに入りかかった夕陽は遠い村の寺塔を空に浮き出させた。さびしい野道を牛車に牧草を積んだ農夫がただ一人ゆるゆる家....
アインシュタイン」より 著者:寺田寅彦
南ドイツでドナウの流れに沿うた小都市ウルムである。今のドイツで一番高いゴチックの寺塔のあるという外には格別世界に誇るべき何物をも有たないらしいこの市名は偶然にこ....
アインシュタインの教育観」より 著者:寺田寅彦
外で授ける方がいい。例えばある牧場の面積を測る事、他所のと比較する事などを示す。寺塔を指してその高さ、その影の長さ、太陽の高度に注意を促す。こうすれば、言葉と白....
新西遊記」より 著者:久生十蘭
教(波羅門教)の興隆で大打撃を受けたうえ、八世紀の末、回教が侵入してきてあらゆる寺塔と仏像経巻を焼き、僧侶と信徒をかたっぱしから虐殺するという大破壊を二世紀にわ....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
ところによると、中尊寺よりもその規模遙かに宏大なりしがごとくに思われる。中尊寺は寺塔四十余宇、禅坊三百余宇とあるが、毛越寺には堂塔は同じく四十余宇で、禅坊は五百....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
として信じているのである。 なお当時余輩は右の弁駁文に関連して、「法起寺及法輪寺塔婆建築年代考」、「薬師寺塔婆建築年代考」等の諸篇を同時に発表し、ついで十月の....
古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
めると、若葉の茂った果樹の間から、三笠山一帯の山々や高台の上に点々と散在している寺塔の屋根が、いかにものどかに、半ば色づいた麦畑の海に浮かんで見える。その麦のな....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
の門前には群れをなして強請する状あり。よって、さらにまた一吟す。 西班山繞紋、何寺塔尖聳、門前乞食群。 (西班の山は海をめぐらし、点々とある家屋はもようをなす。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
た。ために油の料にも事を欠いて天王寺は貧窮をきわめた。――のみならず師泰は、天王寺塔の九輪の宝鈴を一つ鋳つぶして、こころみに酒の鑵子(ちろり)に造らせてみるに、....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
往々他の権門に属して、ために寺の務めを怠った場合もあったとみえて、建武元年の『東寺塔供養記』九月十三日条に、 之処、返事、 候哉。 恐惶謹言。 九月十三日 ....