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寺小屋
「寺小屋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
寺小屋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
に縁のあるところは、この二十五日、それぞれ思い思いの天神祭りをするのが例でした。
寺小屋がそうです。 書道指南所がそうです。 それから私塾《しじゅく》。 お....
「街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
にくい。 その筋の帳面を調べても驚かされるが、なかなかそれ位の事でない。昔風の
寺小屋式から男女の大学まである。これを官立、私立、営利、非営利、年齢別、性別、専....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
親たちのあいだには評判がよかった。しかし弟子のしつけ方がすこぶる厳しい方で、かの
寺小屋の芝居でもみる涎くりのように、水を持って立たされる手習い子が毎日幾人もあっ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
い村民の間に、半蔵は学問好きな少年としての自分を見つけたものである。村にはろくな
寺小屋もなかった。人を化かす狐や狸、その他|種々な迷信はあたりに暗く跋扈していた....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
村の万福寺の横手に仮校舎の普請の落成するまで、さしあたり寺内を仮教場にあて、従来
寺小屋を開いていた松雲和尚を相手にして、できるだけ村の子供の世話もしなければなら....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
を教えてしまいました。 人はその不能に溺《おぼ》れずして能に溺れる、とは、よく
寺小屋の先生から聞いた言葉であるが、七兵衛もまたつくづくその真理であることを感ず....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
ょう》に法律家を父として生れて、最も東京風な家庭教育の下に育って来た女だ。彼女は
寺小屋風が多分に遺《のこ》った小学校に学んだり、三味線、二絃琴《にげんきん》の師....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
子守も来てくれるし、たのめばいつでも人手が借りられる。剣術の道場は、いつか知らず
寺小屋となり、学校となり、与八の製作場となる。 無心で与八が地蔵を刻んでいる時....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
すけれど、あの子には、身上《しんしょう》を持つ気は少しもないようです、このごろは
寺小屋をはじめて、子供たちを教えていますよ」 「まあ、あの子が、手習のお師匠さん....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
、葬儀場ともいえる。後には六人一並びぐらいの板張り机になったが、各自《めいめい》
寺小屋式の机を持っていたころ、あたしが一年生時分は放り出しておく幼稚園といってよ....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
ましい事もなかったが、それも町家となり、更に郡部の農家となると、僅に習字を教える
寺小屋位の外学問をさせるという例がないので、全く余計の干渉をして農商業の妨げをす....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
に両手をおいた。 「秀才だったのだよ。なんて、菅秀才《かんしゅうさい》はお芝居の
寺小屋へ出る。他《ほか》の秀才は他人《ひと》のことで榎本《えのもと》の釜《かま》....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
う重太郎を今度は彼がいさめて再び学業につかせた。重太郎は学業のかたわら乞食部落に
寺小屋をひらいて、乞食の子供に教育をさずけ、子供が大きくなった時には乞食部落が自....
「落語・教祖列伝」より 著者:坂口安吾
ぶして、立派な家を新築したが、その出来上るまで、お寺に泊りこんで、坊主に代って、
寺小屋へあつまる小僧どもに詩文を教えた。 又、彼には色々の芸があった。 お寺....
「春心」より 著者:田中貢太郎
て往った。 「ここよ」 「へい」 平吉が停まるとお高はおりた。そこに葛籠の上に
寺小屋用の文庫があった。お高はその中に手をやって二三冊の草双紙のようなものを執っ....