寺田寅彦[語句情報] »
寺田寅彦
「寺田寅彦〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
寺田寅彦の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
表しておきたいと思う。 昭和六年八月下旬 本郷曙町に於て
寺田寅彦....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
だ。
三
以上の論点をもう少し別な側面から取り上げて見よう。
亡くなった
寺田寅彦博士は、アリストテレスの Physica やルクレティウスの De re....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
学的文学や、科学の文芸味タップリの叙述などを考えているのではない。エッセイストの
寺田寅彦やまして探偵小説家の林生理学助教授のことなどを云っているのではない。科学....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
震研究所所長)、日高孝次(海洋気象台長)の諸博士の業績がそれだ。尚、長岡博士や故
寺田寅彦博士の地球物理学方面の独創的な卓見は興味あるものだし、東大の今村明恒、東....
「変った話」より 著者:寺田寅彦
変った話
寺田寅彦 一 電車で老子に会った話 中学で孔子や孟子のことは飽きる....
「科学に志す人へ」より 著者:寺田寅彦
科学に志す人へ
寺田寅彦 新学年開始のこの機会に上記の題で何か書けという編輯員からの御注文であ....
「随筆難」より 著者:寺田寅彦
随筆難
寺田寅彦 随筆は思ったことを書きさえすればよいのであるから、その思ったことがど....
「年賀状」より 著者:寺田寅彦
年賀状
寺田寅彦 友人|鵜照君、明けて五十二歳、職業は科学的小説家、持病は胃潰瘍である....
「静岡地震被害見学記」より 著者:寺田寅彦
静岡地震被害見学記
寺田寅彦 昭和十年七月十一日午後五時二十五分頃、本州中部地方関東地方から近畿地....
「東上記」より 著者:寺田寅彦
ず。隣りに坐りし三十くらいの叔母様の御給仕|忝しと一碗を傾くればはや厭になりぬ。
寺田寅彦さんと云う方は御座らぬかとわめくボーイの濁声うるさければ黙って居けるがあ....
「子規自筆の根岸地図」より 著者:寺田寅彦
字はあとから行の右側へ書き入れになっている。表面には「駒込|西片町十番地いノ十六
寺田寅彦殿 上根岸八十二 正岡|常規」とあり、消印は「武蔵東京|下谷 卅三年七月....
「科学的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
えられている。ここから現代自然科学にとっての何等かの意義を見出すものは、例えば故
寺田寅彦博士のような多少ともディレッタント風な研究家の思い付きに過ぎぬ、というよ....
「現代科学教育論」より 著者:戸坂潤
にも拘らずその精神は科学的であることを必要とする(必ずしも良い例ではないが例えば
寺田寅彦博士の物理学と随筆とを見よ)。真理の組織的な探究が必要なのだ(グルモンの....
「ヒウザン会とパンの会」より 著者:高村光太郎
くものであった。この第一回展で特に記憶に残っているのは、先頃逝去した吉村冬彦氏(
寺田寅彦博士)が夏目漱石氏と連れ立って来場され私の油絵や斎藤与里の作品を売約した....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
の仮寓に行った。そうして謡を謡った。席上にはその頃まだ大学の生徒であった今の博士
寺田寅彦君もいた。謡ったのは確か「蝉丸」であった。漱石氏は熊本で加賀宝生を謡う人....