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対自
「対自〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
対自の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「星座」より 著者:有島武郎
浅慮ではないと園は思い返した。おぬいさんを本当に愛するなら、おぬいさんの気持に絶
対自由を与えなければならない。何らかの義務を感じさせておぬいさんを苦しめては忍ん....
「「いき」の構造」より 著者:九鬼周造
いき」といかなる関係に立っているか。
(一) 上品―下品とは価値判断に基づいた
対自性の区別、すなわち物自身の品質上の区別である。言葉が表わしているように、上品....
「惜みなく愛は奪う」より 著者:有島武郎
する。 若し本能的生活が体験せられたなら、それを体験した人は必ず人間の意志の絶
対自由を経験したに違いない。本能の生活は一元的であってそれを牽制すべき何等の対象....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
化的宗教は、社会科学的認識と矛盾することを絶対に必要と感じる迷信なのである。ただ
対自然科学的迷信の方は、或る程度まで支配諸社会の必要と常識とに矛盾するので、社会....
「読書の今昔」より 著者:寺田寅彦
鳥の漫画には「この鳥はモネーモネーと鳴く」としたのがあったのを覚えている。官権党
対自由党の時代であったのである。今のブル対プロに当たるであろう。歴史は繰り返すの....
「天災と国防」より 著者:寺田寅彦
るものはたれあろう文明人そのものなのである。 もう一つ文明の進歩のために生じた
対自然関係の著しい変化がある。それは人間の団体、なかんずくいわゆる国家あるいは国....
「日本人の自然観」より 著者:寺田寅彦
た山幸彦・海幸彦の神話で象徴されているような海陸生活の接触混合が大八州国の住民の
対自然観を多彩にし豊富にしたことは疑いもないことである。 以上述べきたったよう....
「俳句の精神」より 著者:寺田寅彦
れは古来の日本人が自然に対する特殊な見方と態度をさして言うのである。 日本人の
対自然観が外国人なかんずく西洋人などのそれと比較していかなる特徴をもっているかと....
「現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
――の根本的な諸規定と全く矛盾して来る。それは例えば階級闘争の代りに国際的戦争や
対自然の技術的闘争だけを社会主義の必然的な行程だと考えるブハーリンの右翼的偏向の....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
論理だけを媒介する、という仮定に帰すると云わざるを得ないだろう。そうなれば論理絶
対自律主義だ。
では論理の媒介に対する無媒介な直接態を仮定するそうした神秘主義....
「静岡地震被害見学記」より 著者:寺田寅彦
れは別問題として、丁度正にそういう処に村落と街道が出来ていたという事にも何か人間
対自然の関係を支配する未知の方則に支配された必然な理由があるであろうと思われた。....
「空間概念の分析」より 著者:戸坂潤
きに譬えて見よう。その時概念は第一にこの把握という働きの結果を得る、概念は理解の
対自であるという条件の下に、吾々は常に理解と概念とを統一的に取り扱うことが出来る....
「学問の自由」より 著者:寺田寅彦
学問の研究は絶
対自由でありたい。これはあらゆる学者の「希望」である。しかし、一体そういう自由が....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
なれたるゆゑに、行者のためには、非行非善なり。」 かれは、これまで、こうした絶
対自力否定の言葉に強く心をひかれていた。それは、しかし、その言葉を素直に受けいれ....
「動く絵と新しき夢幻」より 著者:小川未明
て木枯の寒い晩に一人の女性が、人生に感傷して歩いていたと云う姿が浮んで来る。自己
対自然と云う悠遠な感じがどの作品にも脉打つように流れている。 僕はそれ等の作品....