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「対馬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

対馬の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
すが、普通には下谷坂本と呼んでいました。本当の名は金光山大覚寺というのですが、宗対馬守の息女養玉院の法名を取って養玉院と云うことになりました。この寺に高尾の碁盤....
鰊漁場」より 著者:島木健作
た。さむざむとした暗い海のいろにも緑の明るい色がさして来た。――北海道の西海岸は対馬海流の流域にあたる。津軽海峡の西方の沖合を走り、積丹半島をすぎ宗谷海峡にはい....
碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
鶏林八道蹂躙之事対馬の宗義智が、いやがる朝鮮の使者を無理に勧説して連れて来たのは天正十八年七月で....
玄海灘密航」より 著者:金史良
荒潮の渦巻く玄海灘を中心にして、南朝鮮、済州、対馬、北九州等の間には、昔から伝説にもあるように住民の漂流がしばしばあったと云わ....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
しまうと、小塚ッ原から新町、下谷通り新町とつづいて、左が浄願寺、右が石川日向、宗対馬守なぞのお下屋敷でした。真ッすぐいって三ノ輪、金杉と飛ばして行けば、上野のお....
老中の眼鏡」より 著者:佐々木味津三
一 ゆらりとひと揺れ大きく灯ざしが揺れたかと見るまに、突然パッと灯りが消えた。奇怪な消え方である。 「……?」対馬守は、咄嗟にキッとなって居住いを直すと、書院のうちの隅から隅へ眼を放ち乍ら、....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ら動きはじめたとの消息すらある。 当時は井伊大老横死のあとをうけて、老中|安藤対馬守を幕府の中心とする時代である。だれが言い出したとも知れないような流言が伝わ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
の他、板倉周防守、岡部駿河守らをはじめ奸吏ども数多くこれありて、井伊掃部頭、安藤対馬守らの遺志をつぎ、賄賂をもって種々|奸謀を行ない、実もって言語道断、不届きの....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
む。次に大洲を生む。次に吉備子洲を生む。是に由りて大八洲国と曰ふ名は起れり。即ち対馬島、壱岐島及び処処の小島は皆潮沫の凝りて成れるなり。亦水沫の凝りて成れりと曰....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
いいい方は諧謔でない重々しいところがあるので感が深いようである。この歌の次の、「対馬の嶺は下雲あらなふ上の嶺にたなびく雲を見つつ偲ばも」(巻十四・三五一六)は、....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
装舞踏会の席上何者かに殺害されました。当夜の会には閣僚はじめ各国の大公使、それに対馬典六、神田正彦も出席いたしておりました」 さすがの海舟も、神色自若たるもの....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
あった。もっともはるか東北の方には藤堂|和泉守や酒井|左衛門尉や佐竹左京太夫や宗対馬守の、それこそ雄大な屋敷屋敷が、長屋町家を圧迫して月夜の蒼白い空を摩して、そ....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
あれば、左にこれを録す。 立来。 (志を立てて日本に別れを告げ、眸をこらしてまず対馬の山をみる。紅い夕日の沈むあたりは呉かあるいは越の国であろうか、白い雲のとど....
金持ちと鶏」より 著者:小川未明
ら外に出すときは、脚になわをつけておかないと、空を飛んで、逃げてゆきます。これは対馬からきましたので、野生の鶏でございます。」といいました。 金持ちは話を聞い....
料理の秘訣」より 著者:北大路魯山人
平生とは似ても似つかぬ美味いたいを、四、五月頃、何度も賞味したことがある。これは対馬、隠岐辺から来たものらしい。四、五月頃の明石だい(瀬戸内海靹の浦辺で獲れるも....