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専修
「専修〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
専修の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「金魚撩乱」より 著者:岡本かの子
多かった。それに較べられるためか、復一は際だった駿敏で、目端の利く青年に見えた。
専修科目が家畜魚類の金魚なのと、そういう都会人的の感覚のよさを間違って取って、同....
「田舎教師」より 著者:田山花袋
話を得意になって話し出した。主僧は早稲田を出てから半歳ばかりして、伊勢の一身田の
専修寺の中学校に英語国語の教師として雇われて二年ほどいた。伊勢の大廟から二見の浦....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
》つながら碌《ろく》な事でない。 天主教の尊者アントニウスは教内最初の隠蟄者で
専修《せんじゅ》僧の王と称せらる。西暦二五一年エジプトに生まれ、父母に死なれてそ....
「私の経過した学生時代」より 著者:夏目漱石
業生と同程度ということに見做《みな》されることになった。だから中学卒業生は、英語
専修科というに一年入ると、直《す》ぐ予備門本科に入学することが出来たのである。規....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
うなものだから、本当をいうと五大学リーグ戦と云ってもいい位いだそうである。日大・
専修大其他から出来ている所謂五大学リーグ戦と違う点は、日大などを決して入れてやろ....
「科学上の骨董趣味と温故知新」より 著者:寺田寅彦
見て二つの極端に位する二種の科学者を対照して見ようと思う。 科学者の中にはその
専修学科の発達の歴史に特別の興味を有っている人が多数にある。これが一歩進むとその....
「競漕」より 著者:久米正雄
は下宿の六畳の間一ぱいに蔵経を積め込んで卒業論文を書いていた。(津島は宗教哲学を
専修していたのである)窪田自身も卒業期ではあるが、これでは自分の呑気をもって他を....
「地上」より 著者:島田清次郎
同情をもっている懐かしい年上の女人のように思われる静子は、東京の基督教の女学校の
専修科を出て、この市街の大きな銀行の事務員をしていることが分った。彼は尾沢と静子....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
珍しいことです。 前略。 おきみ様事、東京女子師範学校中の高等女学校に募集致し候
専修科と申へお出し候はゞ如何哉。是は追々新聞広告に見え候通り、当月十五日|迄に願....
「親鸞」より 著者:三木清
師弟の差別さえもあり得ないのである。「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」という。「
専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論のさふらふらんこと、もてのほ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
来のものを一層発達させようという主意であったものと見えます。当時は普通科が二年と
専修科が三年、合せて五年で卒業というのであった。普通科は絵画と木彫と両方をやった....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
をなしたもので、その実私は二十五歳で出家してから、寺や宗門の事務の為に充分仏道を
専修することが出来なかった。一切蔵経を読んで居る中においてもときどき俗務に使われ....
「加波山」より 著者:服部之総
《でんえ》』第三段には次のようにある。 「聖人|常陸国《ひたちのくに》にして、
専修念仏の義をひろめたまふに、おほよそ疑謗の輩はすくなく、信順の族はおほし。而《....
「法然行伝」より 著者:中里介山
明かでございまする。聖教をばよくよく御覧になりませんで」といった。 法然は一向
専修《いっこうせんじゅ》の身となったので、叡山を立ち出でて西山の広谷《ひろたに》....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
、親鸞聖人の一向宗であります。このお宗旨では穢れを言わず、いかなる罪人でも、一向
専修の念仏の功徳によって、極楽往生疑いなしと教えたものです。したがっていわゆるエ....