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将士
「将士〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
将士の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「恩を返す話」より 著者:菊池寛
三月の二日、細川の軍勢は熊本に引き上げた。翌|上巳《じょうし》の日に、従軍の
将士は忠利侯から御盃を頂戴した。甚兵衛も惣八郎も、百石の加増を賜った。その日、殿....
「軍用鮫」より 著者:海野十三
いった東洋人爆撃機からの落し物であろうとは、気がつくよしもなかったし、それが出征
将士慰問の前線文庫の一冊である新品月遅れ雑誌であったことをも知るよしもなかった。....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
れに比ぶれば、朝倉方は大将自身出馬せず、しかも大将義景の因循姑息の気が、おのずと
将士の気持にしみ渡っていただろうから、浅井家の
将士ほど真剣ではなかったであろう。....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
々として迫らない信長のうた声が、林のように静まりかえった陣営にひびき渡る。部下の
将士達も大将の決死のほどを胸にしみ渡らせたことであろう。本庄正宗の大刀を腰にする....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
事が出来ないので退却した。坂の麓で督戦して居た野津少将は、再度の突撃を決意して、
将士と共に決死の酒を酌んで鼓舞した。折しも、時ならぬ雷雨が襲って、鬱然たる山峡は....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
全うして信州へ逃げ帰った。それに引代え、軍の先鋒は信玄の秘蔵の大将であり、其他の
将士も皆音に聞えた猛士であるが、この戦に殆んど総て討死して仕舞った。智勇の良将を....
「山崎合戦」より 著者:菊池寛
なかったかと云われている。 中央軍の斎藤利三父子を初め、左右両翼とも、明智方の
将士は、よく奮戦した。関ヶ原当時の西軍などとは比べものにならない。光秀がいかに人....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
砲撃して、秀頼母子を威嚇し、結局の媾和条件は、次ぎの通りであった。 一、城中新古
将士の罪を問わざるべし。 二、本丸を除き二、三の丸の濠を埋むべし。 三、淀君質と....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
九月二十一日、就中土一揆|乱焼失」(『大乗院寺社雑事記』) 加るに鎮圧に赴いた
将士の部下が、却って一揆に参加して諸処に強奪を働いたと云う。 その乱脈思う可き....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
土木家である増田長盛や、長束正家なんかが共同でやった仕事だから、姑息な小田原城の
将士の度肝を抜くことなんか、易々たるものだったと思う。 七日、秀吉は総攻撃を命....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
をおこした時、張巡は※陽を守って屈せず、城中の食尽きたので、彼はわが愛妾を殺して
将士に食ましめ、城遂におちいって捕われたが、なお屈せずに敵を罵って死んだのは有名....
「郷介法師」より 著者:国枝史郎
、龍の口城は陥落った。 須々木豊前は大いに喜び、凱旋するや盛宴を張って、部下の
将士を慰ったが、功第一と記されたのは他でもない郷介であった。 歓喜の中にその日....
「赤げっと 支那あちこち」より 著者:国枝史郎
とが出来るようになっているのだ。 そんなこととは最初には知らなかった我忠勇なる
将士が如何に沢山ここで戦死したか。 「万歳!」と叫んで突貫して来ては、我忠勇なる....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
歯のままであるとそれは敵軍の士卒の首であることが判るので、おはぐろを塗って貰って
将士の首に見せかけ主人達の感賞に与ろうとするのであります。その役を、危険な混雑な....
「茂吉の一面」より 著者:宇野浩二
ゐましたが、このごろ甘雨が降ります。皇国の大業の成る証です。それにつけても大兄等
将士の御奮戦に対して感謝無限にていつも涙が出ます。」というのである。この頃は、―....