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「将相〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

将相の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
大いさよりいうも、珍種の分布上より見るも、本邦の誇りとすべきところなる上、古帝皇将相が熊野詣りごとに歎賞され、旧藩主も一代に一度は必ずその下を過《よぎ》りて神徳....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
来援した。 (家康に取っても、大事な軍であった。信長より加勢を乞われて、家康の諸将相談したが、本多平八郎忠勝、家康に向って曰く、「信長公を安心の出来る味方と思っ....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
清洲会議之事 天正十年六月十八日、尾州|清洲の植原次郎右衛門が大広間に於て、織田家の宿将相集り、主家の跡目に就いて、大評定を開いた。これが有名な清洲会議である。 こ....
大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
『薩藩奮記』に出ている。 斯くて、大阪方は明石全登、御宿正友、仙石|宗也の諸部将相次いで戦死し、城内では内通者本丸に火をかけ、城内狼狽を極め、遂に松平忠直第一....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
断続したが、大勢は東軍に有利である。先ず山名政豊は将軍に降り、次いで富樫政親等諸将相率いて、東軍に降るに至った。蓋し将軍義政が東軍に在って、西軍諸将の守護職を剥....
近時政論考」より 著者:陸羯南
その人種固有の能力に帰し、とうてい東洋人種の企及すべきにあらずと断ずれども、王公将相いずくんぞ種あらんや。国民論派は一国民自身の位地よりして、またその本分よりし....
惜別」より 著者:太宰治
利にいたり、あるいは政治工商を学び、あるいは水陸兵法を学び、学成りて帰り、もって将相となり、政事一変し、東方に雄視す、などという論調でもって日本を讃美し、そうし....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
がめられもいたしました。天下を掌《たなごころ》のうちに握る太政入道は、たとい王侯将相のお言葉はお用いなくとも、わたくしたちの願いはみんな聞いて下さいました。御一....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
我が物にしたければ、袋を空にして置くに限るよ、物があると誰も入れてくれねえ、天下将相になって見給え、志士仁人になって見給え、夜の目もロクロク眠れずに、やれ国のた....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ちょいの倅《せがれ》に、おっちょこちょいが生れるということは有り得ることで、王侯将相豈種《おうこうしょうしょうあにしゅ》あらんやというは、それは歴史上を均《なら....
南国太平記」より 著者:直木三十五
、出て来て 「あいつには敵わん」 と、立ったままで、大きい声で云った。 「王侯将相、何《いずく》んぞ種あらんや」 益満の声が、玄関でしていた。 蜘蛛の巣網....
徳育如何」より 著者:福沢諭吉
も、屈節もって金玉の身を汚すべからず。あたうるに天下の富をもってするも、授くるに将相の位をもってするも、我が金玉、一点の瑕瑾《かきん》に易《か》うべからず。一心....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
世を去ったのである。この昇進の早さには定家自身|呆然として、「二十八にて蔵人頭、将相の家すらも猶以て幸運の輩なり」といったり、「頭中将(為家のこと)馳せ来つて云....
三国志」より 著者:吉川英治
の成敗と、愛馬を取返した事実をもってし、 「これも将軍の虎威によるところと、諸大将相賀して、折ふし猪を猟して、いささか祝宴をひらいております。どうかご主君にも、....
三国志」より 著者:吉川英治
との草裡に隠れてしまったが、この諸葛氏なる一門からは、この三国分立時代に、三人の将相を同族から出していたのみでなく、その各※が、蜀、魏、呉と別れていたのは一奇観....