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将軍職
「将軍職〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
将軍職の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
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「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
日に、ご当代|家光《いえみつ》公がご父君台徳院|秀忠《ひでただ》公から、ご三代の
将軍職をお譲りうけになられましたので、それをお祝い記念する意味から、この日をお将....
「佐橋甚五郎」より 著者:森鴎外
こって、信康はむざんにも信長の嫌疑《けんぎ》のために生害《しょうがい》した。後に
将軍職を承《う》け継いだ三男|長丸《おさまる》(秀忠《ひでただ》)はちょうどこの....
「鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
して遂に容堂、春嶽をして譲歩せしめた。 岩倉説勝を占めて、その翌日慶喜に対し、
将軍職辞退の聴許があり、更に退官納地を奉請するように、諭されることになった。 ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
たような人である。その人を好むと好まないとにかかわらず、当時この国の上下のものが
将軍職として仰ぎ見ねばならなかったのも、一橋からはいって徳川家を相続した慶喜であ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
の人の上京は自身の用事のためばかりではなかった。旧冬十一月の二十二日に徳川慶喜が
将軍職を辞したころから、国政は再び復古の日を迎えたとはいうものの、東国の物情はと....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
い。明治の歴史にもこれほどばかばかしく外聞の悪い事はあるまいと言い、惜しげもなく
将軍職を辞し江戸城を投げ出した慶喜に対しても恥ずかしいと言って、昨日の国家の元勲....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
浪人共に目にもの見せてやらねえことにゃ、将軍様が持ちきれめえ」 「いよいよ江戸が
将軍職を持ちきれねえとなると、天下はどうなるだあ」 「そりゃ薩摩にやられるだろう....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
たが、座長格の南条がようやく取りしずめて、 「してみると、徳川幕府倒れて、新たに
将軍職を襲うものがありとすれば、これは薩州か、長州かのいずれかより起る、その判断....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
れがいけないということを、道庵は婉曲《えんきょく》に歴史を引いて論じてきました。
将軍職を紀州に取られてから、継友が自棄となり、放縦となり、幕府に対しての不満が、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
あね。まあ、歴史上から言ってごらん、お前《めえ》さん、たとい三日天下にしろ天下の
将軍職についた、惟任光秀《これとうみつひで》ともあろうものが、差足抜足《さしあし....
「鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
をはげむようになった。 あらためて言うまでもなく、八代将軍吉宗は紀州から入って
将軍職を継いだ人で、本国の紀州にあって、若いときから常に海上を泳いでいたので、す....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
て奏聞した。一日置いた十六日朝廷これを嘉納した。つづいて同月二十四日、慶喜は更に
将軍職をも、辞退したき旨奏聞したが、これは保留ということになった。 さて一方朝....
「尊攘戦略史」より 著者:服部之総
語として襲用された。 斉昭の尊王攘夷唱導は、たまたまその子|慶喜《よしのぶ》の
将軍職立候補と時を同じうしてなされた。ペリー来当時の当首相|阿部勢州《あべせいし....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
てていたが、頼朝が世を去るとやがて勢力の拡張にとりかかった。最初に肉親の孫頼家を
将軍職から追って、殺させたのも時政の手であった。 元久二年、都では『新古今集』....
「大岡越前」より 著者:吉川英治
、何とも雄々しいものでおざる。……吉宗様が、紀州御在国の時からすでに眼につけて、
将軍職につかるるやいな、すぐ山田奉行から召し出された御眼識もさすがと頷かれる」 ....