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将門
「将門〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
将門の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「鶴は病みき」より 著者:岡本かの子
するこの裸婦の美をですな、我国古代の紳士淑女達――たとえば素盞嗚尊、藤原鎌足、平
将門、清少納言、達が果して同等に驚嘆するかですな、或いはナポレオンが、ヘンリー八....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
いで、この一片の碑にも何かの由来が無くてはならない。 伝えて云う。天慶の昔、平
将門が亡びた時に、彼は十六歳の美しい娘を後に残して、田原藤太の矢先にかかった。娘....
「愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
言葉がいかにももの凄く響いたのである。君の態度は君の手紙のなかにあったごとく、平
将門が比叡山から美しい京都の町を眺めて、「ええッあの中にあばれ込んでできるだけし....
「薄紅梅」より 著者:泉鏡花
輝かして身を反らし、 「さてこそさてこそ、この旗を所持なすからは、問うに及ばず、
将門が忘れがたみ、滝夜叉姫であろうがな。」 「何だ、あべこべじゃないか、違ってら....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
屋顛倒して、圧死者を出した。陰陽寮で占わすと東西に兵乱の兆があると奏した。天慶は
将門純友の東西に蜂起した年である。貞元元年六月の地震は、山城と近江がひどく、余震....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
事であった。この日振島は昔し天慶の乱に、伊予掾純友《いよのじょうすみとも》が遥に
将門に応じて兵を起した根拠地であると聞いたので、目前の西南騒動と思い合せて一種の....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
見つけ、それを取り下ろして調べて見ると、それが相馬家の系図であって、相馬は遠く平
将門を祖とすることが判り、別に川中島の戦いにおける武田信玄の感状なども添うている....
「郷介法師」より 著者:国枝史郎
はどうだ?」 「やはり弱気に過ぎまする」 「其方随意に選ぶがよい」 「殿のご愛馬
将門栗毛を、拝借致しとう存じます」 「何、
将門? ううむ
将門か?」 最所治部は....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
侯広野の、その主の犯罪を官に密告せる書生物部稲吉を殴殺せしがごときその一なり。『
将門記』に、平
将門の駆使に丈部子春丸あり。その姓と所在とを案ずるに、また俘囚の属....
「知々夫紀行」より 著者:幸田露伴
かも彼処といい此処といい、そのまつる所のものの共に妙見尊なるいとおかしく、相馬も
将門にゆかりあり、秩父も
将門にゆかりある地なるなど、いよいよ奇し。 やがて立出....
「道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
口にするものがあったとしても、何人も為に迷わさるべきものではないのである。かの平
将門が関東で割拠独立を図ったのは、当時朝廷の綱紀が甚だしく弛緩して、中央政府の威....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
が多い様になりました。例えば源氏の頭領|源頼信の如き、また平新皇とまで云われた平
将門の如きすらがそれで、頼信は関白|藤原道兼の家人となり、
将門は太政大臣|藤原忠....
「「特殊部落」と云う名称について」より 著者:喜田貞吉
人となって、自家の勢力を扶植する。所謂一人の跨に入りて万人の頭を越ゆるもので、平
将門は摂政藤原忠平の家人となって、遂に東国に割拠する迄の素地を作った。源頼信程の....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
て、自らその爪牙に任じたものであった。かの一時関八州を占領して独立をまで企てた平
将門の如きも、もとは摂政藤原忠平の家人であった。一旦家人となれば決してその主人に....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
相違ない。そしてそれが時に声聞と呼ばれたことは、柳田君のつとに注目せられた叡山の
将門堂の名がこれを示しているかに解せられる。たといこれらに声聞の名称がなかったと....