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「尊卑分脈〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

尊卑分脈の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
からである。 註 俊成のことは『大日本史料』の俊成薨去年月日の所、『公卿補任』『尊卑分脈系図』を見られるとよい。また『短歌講座』中の「藤原俊成家集講話」、川田順....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、毛利時親という方が正しい。 その毛利姓は、相模ノ国愛甲郡毛利から起っている。尊卑分脈の「大江氏系図」によると、大江広元の子季光以後、愛甲郡毛利に住み、ほどな....
私本太平記」より 著者:吉川英治
。 が、この公佐もまもなく京都で失脚している。そして子孫は朝廷に仕えてきたが「尊卑分脈」でみると、それからは――阿野実直――(不明)――公廉――廉子――の順と....
私本太平記」より 著者:吉川英治
す と称揚され、随行の一番から十二番までの諸将は、家々の面目として序列を誇り“尊卑分脈系図”にさえそれが注記されたほどだったから、この日、天龍寺|落慶式に、尊....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
。義貞が瘧を病んだのは事実だが、従来、内侍を賜う、という話は否定説の方が多い。「尊卑分脈」に一条行房の妹とあるが、明確ではないのである。けれど義貞にかぎらず、武....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
の識別に煩われるものとみえる。 平氏系図も、厳密には、諸書まちまちといえよう。尊卑分脈はじめ、定本というのはない。それに遠祖外戚までに及ぶのはなお煩を加えるだ....