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「尊王〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

尊王の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
かしまだ幸か不幸か、わたし自身その武器の一つを執《と》りたいと思った記憶はない。尊王 十七世紀の仏蘭西《フランス》の話である。或日 Duc de Bourg....
仇討禁止令」より 著者:菊池寛
いしたことは一度もござりませぬ。まして、御本家水戸殿においては、義公様以来、夙に尊王のお志深く、烈公様にも、いろいろ王事に尽されもしたことは、世間周知のことでご....
乱世」より 著者:菊池寛
今般大阪表の始末|柄、在所表へ相聞え、深奉恐入候に付き上下一同謹慎|罷在候。抑も尊王の大義は兼て厚く相心得罷在候処|不図も、今日の形勢に立至り候段、恐惶嘆願の外....
近時政論考」より 著者:陸羯南
穏当なるがごとく見え、隠然多くの賛成者を朝野の間に博したり、何となればその全体は尊王主義と民権主義との抱合たる姿を有すればなり。当時廟堂在位の諸公はいかなる意見....
老中の眼鏡」より 著者:佐々木味津三
夷の実行を約して、和宮の御降嫁を願い奉った自分の公武合体の苦肉の策を憤激している尊王派の面々も、無論忘れてならぬ第二の敵だった。第三は頻々として起る外人襲撃を憤....
十万石の怪談」より 著者:佐々木味津三
で厶ります」 「そうぞ。そうぞ。この長国もそれを言うのじゃ。勤王じゃ、大義じゃ、尊王じゃと美名にかくれての天下泥棒ならば誰でもするわ。――それが憎い! 憎ければ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
みにもなると言ったという話もある。 もともと水戸の御隠居はそう頑な人ではない。尊王攘夷という言葉は御隠居自身の筆に成る水戸弘道館の碑文から来ているくらいで、最....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
っても、そこには幾多の不純なもののあることが想像された。その不純を容れながらも、尊王の旗を高くかかげて進んで行こうとしているらしい友だちの姿が半蔵の目に浮かぶ。....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
つくった。 久兵衛もまた平田門人の一人であった。この人は町人ながらに、早くから尊王の志を抱き、和歌をも能くした。幕末のころには、彼のもとをたよって来る勤王の志....
染吉の朱盆」より 著者:国枝史郎
そこへ行きたい」 そうして間もなく死んでしまうのである。 時世は慶応元年で、尊王|攘夷、佐幕開港、日本の国家は動乱の極、江戸市中などは物情騒然、辻切、押借、....
血曼陀羅紙帳武士」より 著者:国枝史郎
五味左衛門という者があり、忠右衛門と不和であった。理由は、二人ながら、国学者で、尊王家であったが、忠右衛門は、本居宣長の流れを汲む者であり、左衛門は、平田|篤胤....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
るように、官へ密告されたそうな! 裏切りでござろう! 卑怯千万!」 明和年間の尊王事件の、その立て者の山県大弐の、遺児の山県紋也は、尊王事件をあばき立てたとこ....
岩魚」より 著者:佐藤垢石
歳とたっていない。 殆ど無断にもひとしい家出に、家のものは驚いた。しかし当時、尊王攘夷の熱が青年の間に高かった世の中であったから、儀右衛門の平素の行状から推察....
増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
七月、こんどは白昼、土方らは増上寺へ押し込んできた。 『宇都宮戦営の軍費にして、尊王方の勘定方に少々都合がある。たびたびで気の毒に思うが、この度は金三千両だけ用....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
き、一種卓絶、万古不朽の元気ありて存す。その気発しては愛国の精神となり、凝りては尊王の忠魂となり、二千五百余年来、日本国をして東海の上に旭日とともに光輝を四方に....