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「小作〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

小作の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
カインの末裔」より 著者:有島武郎
と帽子とを取上げた。裾《すそ》をからげて砲兵の古靴《ふるぐつ》をはいている様子は小作人というよりも雑穀屋の鞘取《さやと》りだった。 戸を開けて外に出ると事務所....
小作人への告別」より 著者:有島武郎
八月十七日私は自分の農場の小作人に集会所に集まってもらい、左の告別の言葉を述べた。これはいわば私の私事では....
星座」より 著者:有島武郎
るんだが、そういちがいにはいえるもんじゃない。何んでも浅田の話では、見たところは小作りな、あれが評判の梶という人かと思うほど物わかりのいいやさしい人だということ....
姪子」より 著者:伊藤左千夫
「お早ようございます」 と挨拶したのを見るとあの人さ、そんころ善吉はまるっきり小作つくりであったから、あの女も若い時から苦労が多かった。 村の内でも起きて居....
親子」より 著者:有島武郎
なくこんな注意をするような父だった。 停車場には農場の監督と、五、六人の年嵩な小作人とが出迎えていた。彼らはいずれも、古手拭と煙草道具と背負い繩とを腰にぶら下....
新日本の進路」より 著者:石原莞爾
民職分を擔當する。所謂農工一体の体制である。しかして機械工業に例をとれば、農村の小作業場では部品加工を分擔しこれを適當地域において國營もしくは組合經營の親工場が....
隣の嫁」より 著者:伊藤左千夫
いては例の媒妁の虚偽に誤られた。おとよさんの里は中農以上の家であるに隣はほとんど小作人同様である。それに清六があまり怜悧でなく丹精でもない。おとよさんも来て間も....
春昼」より 著者:泉鏡花
ばら葺。それでも先代の親仁と言うのが、もう唯今では亡くなりましたが、それが貴下、小作人ながら大の節倹家で、積年の望みで、地面を少しばかり借りましたのが、私庵室の....
木の子説法」より 著者:泉鏡花
う画工さんで、多分、挿画家協会会員の中に、芳名が列っていようと思う。私は、当日、小作の挿画のために、場所の実写を誂えるのに同行して、麻布我善坊から、狸穴辺――化....
寡婦」より 著者:秋田滋
浮名をながした挙句の果に、かれこれ六十五にもなろうという年をして、自分のところの小作人の娘に夢中になってしまいました。私はその男も女もよく識っております。その娘....
荒蕪地」より 著者:犬田卯
までもはっきり覚えているが、村ではちょうど秋の収納が大方終って、儀作自身のような小作階級のものは、例によって地主へ年貢米や利子払いを殆んど済ましていたし、その他....
」より 著者:犬田卯
地主たちは、かつて左翼華やかなりし頃、この瘤の献身的な強圧のお蔭を被って滞りなく小作米を取り立てていた。 自小作農にいたっては遺憾ながら烏合の衆というよりほか....
」より 著者:犬田卯
」 「俺いなくて田植大変だっぺ。」 勇はこんどは土間のあたりを見廻した。貧しい小作百姓のむさ苦しい煤けた土間には、ごみごみした臼や古俵ばかりで何もなかった。 ....
沼畔小話集」より 著者:犬田卯
なびかせた。数年この方、彼は耕さなかったのである。しかも自己の持地に隣る三反歩の小作田まで一様に死田化して顧みなかったのだ。 水田ばかりではなかった。畑地をも....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
組合、日本労働総同盟、日本鉱夫組合にも参加して労働運動もやってきた。その間数々の小作争議、鉱山争議、工場ストを経験したが、いまのストライキにくらべて感慨無量なも....