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「小児〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

小児の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
金将軍」より 著者:芥川竜之介
た。しかし歴史を粉飾《ふんしょく》するのは必ずしも朝鮮ばかりではない。日本もまた小児《しょうに》に教える歴史は、――あるいはまた小児と大差のない日本男児に教える....
日光小品」より 著者:芥川竜之介
ならない。「形ばかりの世界」にとらわれた人々はこのあばら家に楽しそうに遊んでいる小児のような、それでなければ盲目の顔を私たちの方にむけて私たちを見ようとするおば....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
り、大寒に団扇《うちわ》を揮《ふる》ったりする痩《や》せ我慢の幸福ばかりである。小児 軍人は小児に近いものである。英雄らしい身振を喜んだり、所謂光栄を好んだ....
惜みなく愛は奪う」より 著者:有島武郎
その恋の姿は比べるものなく美しい。私は又本能的生活の素朴に近い現われを、無邪気な小児の熱中した遊戯の中に見出すことが出来ると思う。彼は正しく時間からも外聞からも....
かんかん虫」より 著者:有島武郎
挾まれて、不規則な小亜細亜特有な鋭からぬ鼻。大きな稍々しまりのない口の周囲には、小児の産毛の様な髯が生い茂って居る。下※の大きな、顴骨の高い、耳と額との勝れて小....
歌行灯」より 著者:泉鏡花
縁へ、颯と酔が出た。 「勝手にピイピイ吹いておれ、でんでん太鼓に笙の笛、こっちあ小児だ、なあ、阿媽。……いや、女房さん、それにしても何かね、御当処は、この桑名と....
伊勢之巻」より 著者:泉鏡花
寸御見に入れたりしを、正綴にした今度の新版、さあさあかわりました双六と、だませば小児衆も合点せず。伊勢は七度よいところ、いざ御案内者で客を招けば、おらあ熊野へも....
悪獣篇」より 著者:泉鏡花
を、渠は何心なく見て過ぎた。連れはその店へ寄ったのである。 「昔……昔、浦島は、小児の捉えし亀を見て、あわれと思い買い取りて、……」と、誦むともなく口にしたのは....
霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
怖がって何所とも知れず姿を消して了う。人間界で妖精の姿を見る者が、大てい無邪気な小児に限るのもその故じゃ。今日の見物は天狗界や竜神界の大がかりな探検とはよほど勝....
霊訓」より 著者:浅野和三郎
如き非合理的法律を墨守して居る限り、先ず改善の見込は絶無であろう。 問『無邪気な小児は、死後直ちに上界に進むか?』 貴重なる地上生活の二つである。帰幽せる小児....
諸国の玩具」より 著者:淡島寒月
例の珍らしいもの、変ったもの、何んでもに趣味を持つ僕の事ですから、この間三越の小児博覧会へ行った。見て行く中に、印度のコブラ(錦蛇あるいは眼鏡蛇)の玩具があっ....
燕と王子」より 著者:有島武郎
れて、二、三年病気をすると二人とも死んでしまったのだ、それであとに残された二人の小児はあんな乞食になってだれもかまう人がないけれども、もしここに金の延べ金があっ....
飯田蛇笏」より 著者:芥川竜之介
うになった。蛇笏君の書は予想したように如何にも俊爽の風を帯びている。成程これでは小児などに「いやに傲慢な男です」と悪口を云われることもあるかも知れない。僕は蛇笏....
ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
スがこの教会に属しており、母も(教会には入らなかったが)礼拝に行った関係上、まだ小児の時から教会にも行き、その影響を受けたことは一と通りではなかった。 この教....
活人形」より 著者:泉鏡花
。「そうだろう。彼奴もしたたか者だ。お藤を誘拐して行ったに違いない。あの嬢はまだ小児だ。何にも知らないから可し、老婆も、我等と一所に働いた奴だ。人に悪事は饒舌ま....