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小宴
「小宴〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
小宴の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「私の母」より 著者:堺利彦
のお膳を持ちだし、母の自慢のえんどうままで、父は例の一合を楽しみつつ、つつじ見の
小宴を催したことがある。それらは父がアジをやるのであるか、それとも母の思いつきで....
「暗黒公使」より 著者:夢野久作
ている。何事かと思って封を開いて見ると、それは明後日の午後六時から、男爵の私邸で
小宴を開くから来てくれという意味の、儀礼をつくした案内状で、最後に出席する人々の....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
の画を作って、明日は晴雨にかかわらず、ここを立つという時に、主人が送別を兼ねて、
小宴を開いて白雲をねぎらいました。 二日間の作、一つは主人の注文によっての「鍾....
「白塔の歌」より 著者:豊島与志雄
十日ばかり南方に旅して、そして帰ってきましてから、自邸で、十名ほどの人々を招いて
小宴を催しました。 方福山は賑かな交際が好きで、人を招いて宴席を設けることはよ....
「巷説享保図絵」より 著者:林不忘
箸と酒杯《さかずき》をかわるがわる動かしていた。
世間ばなしがはじまって、この
小宴は楽しいものになりそうだった。
二
久助のやり方がすべて気....
「父」より 著者:矢田津世子
たのではあるまいか、という気がしてきた。 父の誕生日とおきえさんの披露をかねた
小宴があるというので姉はまた忙しく家へ出入りするようになった。こんどは余り粗末な....
「寄席行灯」より 著者:正岡容
同行の先輩柳家三語楼、昇龍斎貞丈、尺八の加藤渓水の諸家と福原某旗亭において慶祝の
小宴を催したが、興至るやじつにしばしば畳叩いて三語楼と巨躯《きょく》の貞丈は、※....
「三国志」より 著者:吉川英治
去ることになった。 別れにのぞんで、主の劉恢は、落魄の豪傑玄徳らのために別離の
小宴をひらいて、さていうには、 「また、時をうかがって、この地へぜひ戻っておいで....
「三国志」より 著者:吉川英治
に心のかたい者が、十名も寄れば、大事は成るか」と、そこの密室は、やがて前途を祝う
小宴となって、各※、義杯を酌みかわしながら、そんなことを談じ合った。 「そうだ…....
「三国志」より 著者:吉川英治
行を出迎え、すこぶる鄭重に客舎へ案内した。 夕刻、使いがあって、 「いささか、
小宴を設けて、将軍の旅愁をおなぐさめいたしたいと、主人王植が申されますが」 と....
「三国志」より 著者:吉川英治
左咸が意見した。 「おやめなさい。おやめなさい。むかし曹操もこの人を得て、三日に
小宴、五日に大宴を催し、栄誉には寿亭侯の爵を与え、煩悩には十人の美女を贈り、日夜....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
郷武者たちも、それぞれの郷へ帰って行き、家中一統の間には、久々の謁見やら、内輪の
小宴なども行われた。そして、明日はさっそく、鎌倉立ちの途につかねばならぬが、高氏....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
して簡単なる客招びをも、御茶と謂っている処は方々にある。東日本では主として仏事の
小宴が御茶だが、九州では誕生・婚姻のごとき、吉事にも人をこの御茶に招いている。茶....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
をよろこぶ精神的な真実さにかけては秀吉以上なものすらあった。 その夜、秀吉は、
小宴を催して、 「この陣中にも、何もなくなって来たが、壺酒乏しければ風趣を酌むじ....