小山内薫[語句情報] » 小山内薫

「小山内薫〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

小山内薫の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
思い立ったことではなかった。 到頭、わたしは七年も山の上で暮した。その間には、小山内薫君、有島|生馬君、青木|繁君、田山花袋君、それから柳田国男君を馬場裏の家....
正義と微笑」より 著者:太宰治
違いない。ガマ仙の講義は、お伽噺だ。 昼休みの時間に、僕は教室にひとり残って、小山内薫の「芝居入門」を読んでいたら、本科の鬚もじゃの学生が、のっそり教室へはい....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
り場で「旦那」とよぶのはあの人だけだといわれた遊び手の、若い大商人と縁を結んだ。小山内薫氏の書いた小説『大川端』や『落葉』に出てくる木場《きば》の旦那、および多....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
江島生島」を初演したのもその会であった。もとより、井上八千代流の京舞をも出した。小山内薫氏がロシアやフランスからもって来た、洋行みやげの舞踊談も、幻燈で示された....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
ん、須山さん、大月さん等肖像をかきました。二十五日に築地で劇団葬にきまりました。小山内薫以来のことです。鑑子さんは実にこれ迄努力をして来て、これからもしっかりや....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
ころ。明治四十五年頃を青年時代で送った人はどんな心持で回想するでしょう。左団次と小山内薫の自由劇場の公演のとき、三田文学会は揃いの手拭で総見し、美術学校の生徒は....
松井須磨子」より 著者:長谷川時雨
の朝」は伊太利《イタリー》の劇作者ダヌンチオの作で「秋夕夢」と姉妹篇であるのを、小山内薫《おさないかおる》氏が訳されたものである。どうしたことかこの「緑の朝」に....
魔都」より 著者:久生十蘭
、十五年ぶりでその男に逢うためだった。そいつはひどく日本趣味な男で、永井荷風や、小山内薫の小説を耽読して、かねて古い東京の風物に憧憬を持っている。最後のランチの....
宝塚生い立ちの記」より 著者:小林一三
る当時の事情を知ることができるので、次に掲げてみよう。 日本歌劇の曙光小山内薫 『宝塚の少女歌劇とかいうものが来ますね。あなた大阪で御覧になった事がお....
わが寄席青春録」より 著者:正岡容
している。思えばあの頃も今日も少しも変わっていない若い若い松井君ではあることよ!小山内薫氏がテーブルスピーチをされ、他に東健面、鈴木伝明、英百合子君らがいたよう....
怪談劇」より 著者:岡本綺堂
兵衛の方に多分の興味を感じて、肝腎のお岩さまの方は二の次にされている傾きがある。小山内薫氏が曾て云われた通り、怪談は所詮「怪談」で、ストーリーの領分に属するもの....
夜長ノート」より 著者:種田山頭火
三田文学、劇と詩、朱欒。永井荷風氏、吉井勇氏、北原白秋氏、秋田雨雀氏、上田敏氏、小山内薫氏、鈴木三重吉氏。…… 早稲田文学、文章世界、帝国文学、新小説。島村抱....
小山内薫先生劇場葬公文」より 著者:久保栄
築地小劇場劇団部主事小山内薫先生は、昭和三年十二月二十五日午後七時、日本橋亀島町旗亭「偕楽園」におい....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
の社長たり。 ○六月、歌舞伎座にて市川団蔵、一世一代の仁木弾正を演じ、好評。 ○小山内薫、市川左団次共同して、十一月二十七、二十八の両日、有楽座にて自由劇場第一....
濹東綺譚」より 著者:永井荷風
て文藝春秋社の徒が、築地小劇場の舞台にその党の作品の上演せられなかった事を含み、小山内薫《おさないかおる》の抱ける劇文学の解釈を以て誤れるものとなした事の如きを....