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小早川隆景
「小早川隆景〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
小早川隆景の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
。 明の大軍三十万騎が李如松を大将軍として碧蹄館へくり出してくる。日本の方では
小早川隆景、黒田長政、立花宗茂と云ったような九州大名が陣をそろえて待ちうける。い....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
は、塔の岡から数町の所で、その博奕尾から進めば、塔の岡の背面に進めるわけである。
小早川隆景の当夜の行動には二説ある。隆景は之より先、漁船に身を隠して、宮尾城の急....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
が、京城に達したので、宇喜多秀家は三奉行と相談して、安国寺|恵瓊を開城へ遣して、
小早川隆景に、京城へ退くよう勧説した。隆景曰く、「諸城を築いて連珠の如くに守って....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
田安房守昌幸は戦国時代に於ても、恐らく第一級の人物であろう。黒田如水、大谷吉隆、
小早川隆景などと同じく、政治家的素質のある武将で、位置と境遇とに依って、家康、元....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
要するに今後の問題は、持久戦に漸く倦んだ士気を如何に作興するかにある。 此の時
小早川隆景進言して言うのに、父の毛利元就が往年尼子義久と対陣した際、小歌、踊り、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
とにもののふの鑑《かがみ》と申すべきではござりませぬか。恐れながら、わが御先代の
小早川隆景公は日本第一の明将でございました。御一身の栄達を犠牲にして毛利の本家の....
「馬妖記」より 著者:岡本綺堂
来た。 その記録にはこういう事実が伝えられている。 文禄二年三月、その当時、
小早川隆景は朝鮮に出征していて、名島の城には留守をあずかる侍たちが残っていた。九....
「淡紫裳」より 著者:佐藤垢石
に落葉松が金魚藻のような若葉をつけていた。そこが、三百四十年前の古戦場であった。
小早川隆景の僅かな軍勢が、明の四、五万の大軍を殲滅した所である。いま見るこの水田....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
戦国時代にいたっては、かの毛利|元就や輝元を生み、またその支流からは、吉川元春、
小早川隆景らの輩出を見るのであった。 しかし毛利家の「毛利系図」の上では、相模....
「大谷刑部」より 著者:吉川英治
わせたように動こうとしないのである。 機は逸しかける! 大谷刑部の陣からも、
小早川隆景からも、催促の急使が駈けた。――だが、秀秋の陣では、老臣が出て、勘の悪....
「茶漬三略」より 著者:吉川英治
詰めていたが、寄手にも、隠しきれない焦躁があった。――それは、毛利方の吉川元春、
小早川隆景の四万の兵が、援軍として、すぐ対岸の山岳までもう来て対陣しているからで....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
とんど、毛利の国力を傾けて来たかの如き大軍で、その旗頭をかぞえて見ただけでも――
小早川隆景の軍約二万、吉川元春の軍約一万五千、浮田直家の隊約一万四、五千はある。....