小田原城[語句情報] » 小田原城

「小田原城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

小田原城の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
の大久保相模守忠隣が幕府の命令によって突然に小田原領五万石を召上げられ、あわせて小田原城を破却されたのである。 その子細は知らず、なにしろ青天の霹靂ともいうべ....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
責任上、永禄三年兵を関東平野に進め、関東の諸大名を威服し、永禄四年に北条|氏康を小田原城に囲んで、その城濠|蓮池のほとりで、馬から降り、城兵が鉄砲で狙い打つにも....
小田原陣」より 著者:菊池寛
、九鬼嘉隆等も各々その精鋭をすぐって、遠州今切港や清水港に投錨して居るのだから、小田原城は丁度三面包囲を受ける形勢にある。 三月|朔日、いよいよ秀吉の本隊も京....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
名代のやくざ者。 ここで、南条、五十嵐と、がんりきというやくざ者を見ることは、小田原城下以来であります。 濠端に進み過ぎている傍まで、五十嵐が進み寄って、二....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
……これを囲むところの関白秀吉の軍勢、海と陸とを通じて総勢六十万騎……しかれども小田原城中少しも屈せず、用心きびしく構えて寄せ手を相待つ。そもそも当城は北条五代....
百姓弥之助の話」より 著者:中里介山
じい》さんが一人居た、汽車が小田原を過ぎた時分にこのお爺さんは首を伸ばして、 「小田原城はどの辺になりますか」 と弥之助に向って尋ねた。 窓の左の方をながめた....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
たのも、また奥州すなわち日の本の義から取った名称であるに他ならぬ。また豊臣秀吉が小田原城攻囲の際、天正十八年五月一日附けを以て、その妻すなわち大政所へ遣わした消....
埋もれた日本」より 著者:和辻哲郎
一四九一)すなわち加賀の一向一揆の三年後であった。やがて明応四年(一四九五)には小田原城を、永正十五年(一五一八)には相模一国を征服した。ちょうどインド航路が打....