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小西行長
「小西行長〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
小西行長の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「金将軍」より 著者:芥川竜之介
児をふり返っていた。……
三十年の後《のち》、その時の二人の僧、――加藤清正と
小西行長とは八兆八億の兵と共に朝鮮八道へ襲来《しゅうらい》した。家を焼かれた八道....
「阿部一族」より 著者:森鴎外
家は、もと天草郡を三分して領していた柄本、天草、志岐《しき》の三家の一つである。
小西行長が肥後半国を治めていたとき、天草、志岐は罪を犯して誅《ちゅう》せられ、柄....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
天下に唐入即ち明国出兵を発表した。 兵器船舶の整備を急がせると共に、黒田長政、
小西行長、加藤清正をして、肥前松浦郡|名護屋に築城せしめ、更に松浦|鎮信をして壱....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
小名|郷士の輩は風を望んで秀吉の軍門に投じたのであった。 秀吉は此一円を、始め
小西行長に属せしめたが、郷士土民はよく豊臣の制令に服従した。 徳川の天下となっ....
「鉄面皮」より 著者:太宰治
騒いで怨んだり憎んだり、もっぱら作者自身のけちな日常生活からのみ推して加藤清正や
小西行長を書くのだろうから、実に心細い英雄豪傑ばかりで、加藤君も小西君も、運動選....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
馬標から始めて、石田三成の大吉大一大万の旗を作り、次に福島正則が白地に紺の山道、
小西行長は糸車か四目結――黒田が藤巴《ふじともえ》で、島津は十文字、井伊が橘《た....
「青春論」より 著者:坂口安吾
けないという戒めがあって、当時こういう戒めは甚だ厳格に実行され、ドン・アゴスチノ
小西行長は自害せず刑場に引立てられて武士らしからぬ死を選んだ。又、切支丹は武器を....
「わが血を追ふ人々」より 著者:坂口安吾
てゐた。たゞこの古戦場を見るために帰りの旅に陸路を選んだ甚兵衛は感無量であつた。
小西行長の祐筆の家に生れた彼は幼少のため関ヶ原の合戦に参加せず、故郷の宇土で主家....
「こま犬」より 著者:岡本綺堂
いだが、ともかくも昔から岡と呼ばれていたらしい。ここへ押寄せて来たのは浮田秀家と
小西行長の両軍で、小袋喜平次も必死に防戦したそうだが、何分にも衆寡敵せずというわ....
「天草四郎の妖術」より 著者:国枝史郎
一 天草騒動の張本人天草四郎時貞は幼名を小四郎と云いました。九州天草大矢野郷越野浦の郷士であり曾ては
小西行長の右筆まで為た増田甚兵衛の第三子でありましたが何より人を驚かせたのは其珠....
「大谷刑部」より 著者:吉川英治
そして戦うか? 戦うからには勝たねばならないのだ――勝てないと分っている戦にも。
小西行長、あれはまず三成でうごく、前田も、義理で起とう、増田、長曾我部、丹羽、浮....