小説神髄[語句情報] » 小説神髄

「小説神髄〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

小説神髄の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
文学における今日の日本的なるもの」より 著者:宮本百合子
間に生じたばかりでなく、一人の作家の内部にも現れているのである。 坪内逍遙の「小説神髄」は近代日本文学にとっての暁の鐘であったとされている。逍遙はこの論文の中....
夜叉のなげき」より 著者:宮本百合子
或は馬琴流の善玉悪玉の通念に対して、一般人間性を主張した時代は、日本でも逍遙の「小説神髄」以来のことである。私たちのきょうの生活感情はそこから相当に遠く歩み出し....
今日の文学の展望」より 著者:宮本百合子
向う意欲とその思想とに於て、役割に於て、本質を異にしたものであった。坪内逍遙の「小説神髄」が日本の近代小説への道を示したことは周知である。文芸理論に於てはヨーロ....
作家と教養の諸相」より 著者:宮本百合子
内逍遙の「当世書生気質」は、日本の近代文学の第一歩の導きとなって彼の近代小説論「小説神髄」の創作的実験であったが、その作品の世界は書生という姿に於て踏襲されてい....
バルザックに対する評価」より 著者:宮本百合子
イリイッチの死」「クロイツェル・ソナタ」などを書いた年)春廼やおぼろ坪内雄蔵の「小説神髄」によって不十分ながら輪廓を示された写実主義の主張をもって始った。当時、....
婦人と文学」より 著者:宮本百合子
「当世書生気質」という作品は、周知のとおり明治十八年に出た新しい文学への手びき「小説神髄」につづいて、書かれた小説であった。この一篇には、逍遙がそれを書いた当時....
時代と人々」より 著者:宮本百合子
あった。四迷が「浮雲」を書いたのは明治二十年のことで、二十七歳の坪内逍遙先生が「小説神髄」をあらわし、「当世書生気質」を発表して「恰も鬼ケ島の宝物を満載して帰る....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
もう二百枚越しているわけです。あともう三四回。それに文学は翻訳文学だった時代、「小説神髄」以前の女の活動について加えなければなりません。S子さんが年表をつくって....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
のでどうしていいんだか判らなかった。関根|正直氏の『小説史稿』や、坪内逍遥氏の『小説神髄』や『書生気質』や『妹背鏡』や、森鴎外氏の『埋木』やそんなものを古書肆か....
二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
としか思っていなかった。平たくいうと、当時は硯友社中は勿論、文学革新を呼号した『小説神髄』の著者といえども今日のように芸術を深く考えていなかった。ましてや私の如....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
は誰も思わなかった。ところが高田半峰が長々しい批評を書き、春廼舎もまた矢継早に『小説神髄』(この頃『書生気質』と『小説神髄』とドッチが先きだろうという疑問が若い....
明治の文学の開拓者」より 著者:内田魯庵
というものは非常な権威があった。かつ坪内君は同時に小説論をしばしば書いた。後の『小説神髄』はこれを秩序的に纏めたものだが、この評論は確かに『書生気質』などよりは....