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「少弐〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

少弐の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
近世快人伝」より 著者:夢野久作
ぐにわかる事である。遠く元弘三年の昔、九州随一の勤王家菊池武時は、逆臣北条探題、少弐大友等三千の大軍を一戦に蹴散らかさんと、手勢百五十騎を提げて、この櫛田神社の....
十二支考」より 著者:南方熊楠
いずれを正説と定めがたい。寛文二年板『為愚痴《いぐち》物語』六に秀吉公の時、千石少弐なる人、「万《よろず》の道にさし出で、人も許さぬ公儀才覚立てして差してもなき....
死者の書」より 著者:折口信夫
言わせると、――あれはもう、二十幾年にもなるかいや――筑紫で伐たれなされた前太宰少弐―藤原広嗣―の殿に生写しじゃ、とも言うがいよ。 わしには、どちらとも言えんが....
源氏物語」より 著者:紫式部
ら尋ね出すことをさせなかった。そのうちに、乳母《めのと》の良人《おっと》が九州の少弐《しょうに》に任ぜられたので、一家は九州へ下った。姫君の四つになる年のことで....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
をによし寧楽の都は咲く花の薫ふがごとく今盛なり 〔巻三・三二八〕 小野老 太宰少弐小野老朝臣の歌である。老は天平十年(続紀には九年)に太宰大弐として卒したが、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
真意を確かめておこうとした。――彼の黒表にのぼっていたおもなる大族は菊池、阿蘇、少弐、大友の四家だった。 その召集をうけた肥後の菊池武時は、 「ただではすむま....
私本太平記」より 著者:吉川英治
入る吉報にのみ酔っていた。 九州からの早馬は、五月の末、九州探題の北条英時が、少弐、大友の兵に攻められて滅亡をとげたと報じ、長門の探題北条時直も、おなじころ、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
。 ゆらい、九州の武族は、強豪な聞えが高い。尊氏はまだ六波羅のころから、筑紫の少弐や大友の族党へはいちばい恩義をかけていた。そのほか、蒔いておいた胚子も多い。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
そうの船上では、さきに太宰府から赤間ヶ関まで、尊氏を迎えに渡っていた筑後ノ入道|少弐妙恵(貞経)の子の頼尚が、水案内を勤めて、みよしに立ち、 「待った、待った。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
支隊は、斯波高経のひきいる山手勢であり、また浜のなぎさを一ト筋に駈け出したのは、少弐頼尚以下の、筑紫の兵、三千余騎にちがいない。 そして、その二方面のまん中を....
私本太平記」より 著者:吉川英治
へさんざんに抗ッた。――そして戦いに破れると九州へ逃げ落ちてゆき、直義と仲のよい少弐頼尚のふところへ拠ってしまった。のみならず、西海の反師直がたも、みなその一幕....