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少輔
「少輔〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
少輔の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「忠義」より 著者:芥川竜之介
せた上に、大広間詰の諸大名が、代る代る来て介抱《かいほう》した。中でも松平|兵部
少輔《ひょうぶしょうゆう》は、ここへ舁《かつ》ぎこむ途中から、最も親切に劬《いた....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
責を感じていなかった。その上、最近になって、左院副議長江藤新平の知遇を得て、司法
少輔に抜擢せられる内約があったし、そうなれば、新日本の民法刑法などの改革に、一働....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
政五年――午年のことでございます。わたくしは丁度十八で、小石川巣鴨町の大久保式部
少輔様のお屋敷に御奉公に上っておりました。お高は二千三百石と申すのですから、御旗....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
」の一節を紹介したい。 「耳袋」のうちにはこういう話が書いてある。美濃の金森兵部
少輔の家が幕府から取潰されたときに、家老のなにがしは切腹を申渡された。その家老が....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
う。 厳島の宮尾城は、遂此の頃陶に叛いて、元就に降参した己斐豊後守、新里宮内|
少輔二人を大将にして守らせていた。陶から考えれば、肉をくらっても飽足らない連中で....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
山吉孫次郎 加地彦次郎 左備 本庄越前守 安田治部
少輔 長尾遠江守 後備 中条越前守 古志駿河守 後....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
死しても日本の恥にもなるまい」と頑張って退く事を肯じない。三奉行の一人大谷|刑部
少輔吉継、京城より馳せつけて隆景に説いた。「貴殿の御武勇の程は皆々存じては居るが....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
うである。氏郷は白河をば関|右兵衛尉《うひょうえのじょう》、須賀川をば田丸|中務
少輔《なかつかさしょうゆう》、阿子《あこ》が嶋《しま》をば蒲生源左衛門、大槻を蒲....
「死者の書」より 著者:折口信夫
離れなければならぬ時の、迫って居るような気がして居た。其中、此針の筵の上で、兵部
少輔から、大輔に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
天平勝宝七歳三月三日、防人を※校する勅使、并に兵部使人等、同に集える飲宴で、兵部
少輔大伴家持の作ったものである。一首は、雲雀が天にのぼるような、春が明瞭に来たの....
「生死卍巴」より 著者:国枝史郎
き出したが、間もなく姿が見えなくなった。 小出信濃守の邸の前を通って、榊原式部
少輔の邸の横を抜けて、一ツ橋御門を中へ入れば一ツ橋中納言家のお邸となる。 二人....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
鳴っていた。 「素早い奴だ」と舌を巻きながら、老武士は走らざるを得なかった。式部
少輔榊原家の、裏門あたりまで来た時であったが、はじめて人影を見ることが出来た。尾....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
助は宿を出て、両国をさして歩いて行った。 本郷の台まで来たときである。榊原式部
少輔様のお屋敷があり、お長屋が軒を並べていた。 と、 「エーイ」 「イヤー」 ....
「五右衛門と新左」より 著者:国枝史郎
わい。さあ忙しいぞ忙しいぞ!」徳善院は退出した。 × 石田治部
少輔、益田右衛門尉、この二人が奉行となった。 「さる程に両人承て人々をえらび、茶....
「酒渇記」より 著者:佐藤垢石
参議藤原仲平、兵部大輔源嗣敬、右近衛少将藤原兼茂、藤原俊蔭、出羽守藤原経邦、兵部
少輔良峰、遠視左兵衛佐藤原伊衡、平希也など僅かに八人であったのである。何れも当時....