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尼子
「尼子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
尼子の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「阿部一族」より 著者:森鴎外
介錯は高田十兵衛、弟のは村上市右衛門がした。橋谷は出雲国《いずものくに》の人で、
尼子《あまこ》の末流《ばつりゅう》である。十四歳のとき忠利に召し出されて、知行百....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
うだ。晴賢が、義隆を殺した以後二三年間は無事に交際していたのだが、元就が攻略した
尼子方の備後国江田の旗返城を陶が毛利に預けないで、江良丹後守に預けた。これ等が元....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
如何に作興するかにある。 此の時小早川隆景進言して言うのに、父の毛利元就が往年
尼子義久と対陣した際、小歌、踊り、能、噺をやって長陣を張り、敵を退屈させて勝つこ....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
家へ仕え、京へはいっては三好家へ仕え、播磨へ行っては別所家へ仕え、出雲へ行っては
尼子家へ仕え、備前へ行っては浮田家へ仕え、安芸へ行っては毛利家へ仕えた。いずれも....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
。京極氏は江北六郡の領主で、元弘建武以来の錚々《そうそう》たる大名であり、山陰の
尼子氏の如きもその分家に過ぎない――松の丸の閨縁《けいえん》によって豊臣秀吉の寵....
「愉快な話」より 著者:豊島与志雄
明を聞くと、随分厄介な病気らしい。 ところが、治療の効か養生が行届いたせいか、
尼子富士郎医学博士が眼を丸くして驚いたほど、超スピードで快癒していった。全快まで....
「南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
い。世は容易に治まるまい……武田家は間もなく亡びるだろう。波多野秀治は滅亡した。
尼子勝久は自刃した。上杉|景勝は兄を追った。荒木|村重は謀反した。法燈暗く石山城....
「今昔茶話」より 著者:国枝史郎
にも救うことが出来なかったが、しかしこの時の島津の兵は後詰めの兵なのである。又、
尼子氏の上月城を毛利の兵が攻めた時、秀吉が上月城を助けようとして出兵した、それも....
「埋もれた日本」より 著者:和辻哲郎
れはたぶんシャビエルが日本へ渡来したころの前後に書かれたものであろう。多胡辰敬は
尼子氏の部将で、石見の刺賀岩山城を守っていた人であるが、その祖先の多胡|重俊は、....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
つきです。 憂きことのなほこの上に積れかし 限りある身の力試めさん これは
尼子十勇士の一人の山中鹿之助が主家の再興を図りましたけれども、ほとんど絶望である....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ばにも古い憶い出しかない。 その頃、この近郷一帯の、英田や讃甘や勝田の諸郡は、
尼子氏の侵略をうけて、浦上一族は諸城から敗退の運命を辿っていた。ばばの幼い頃の記....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
違いなかった。 老人は老人で、それ以前も絶え間のなかった――三好、細川、赤松、
尼子氏などの治乱興亡の戦語りを、炉ばたに寄れば、見たこと聞いたこと、幼い者にして....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
今度、秀吉と二日間を安土に送った間に結ばれた秘策を果たすためだった。 山陰には
尼子氏の一党が諸所に潜伏して時到るを待っている。その勢力は微少だともいえるが、尼....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
異にしていただけで、彼ら自身実はシュクであり、エタであったのである。出雲において
尼子経久が、エタの軍勢を催して富田城を恢復した事が、「陰徳太平記」などに見えてい....