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「尾道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

尾道の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
が来ず、わからない。 また瀬戸内海等ヘ、機雷投入を二日つづけてやった。きょうは尾道と四国との連絡船が停まったと出ていた。PB2Yらしい飛行艇も、房州の附近へ姿....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
名乗らせ給え」 「お尋ねを蒙《こうむ》るほどの者には候わず、愚僧は備後《びんご》尾道《おのみち》の物外《もつがい》と申す雲水の身にて候」 と聞いて、近藤はじめ、....
新版 放浪記」より 著者:林芙美子
洋館の横を通って、だらだらと丘を降りると、蒸汽船のような工場の音がしていた。ああ尾道《おのみち》の海! 私は海近いような錯覚をおこして、子供のように丘をかけ降り....
廃墟から」より 著者:原民喜
かく一度|診《み》て貰うため病院を訪れると、庭さきまで患者が溢《あふ》れていた。尾道《おのみち》から広島へ引上げ、大手町で遭難したという婦人がいた。髪の毛は抜け....
永遠のみどり」より 著者:原民喜
に乗った。各駅停車のその列車は地方色に染まり、窓の外の眺めものんびりしていたが、尾道《おのみち》の海が見えて来ると、久し振りに見る明るい緑の色にふと彼は惹《ひ》....
田舎がえり」より 著者:林芙美子
ゅんぞう》氏たちと逢い、啄木の講演を済ませて神戸の諏訪山の宿へ二泊して、十四日に尾道《おのみち》へ発《た》って行った。ふと、海がみたくなったからだ。汽車が駅々へ....
地方文化運動報告」より 著者:中井正一
暗澹たる想い、というのはその時の私のいつわらざる心持であった。どこから、この尾道の一角に手をかけて行くべきであろうか。私のこころは暗かった。 或る日、書庫....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
の雪子はその時すでに十六で父の実家佐々木家に養女に行っており、三女の種子は十四で尾道の伯父の家にこれも養女に行っていた。家には長女の豊子十八と、四女の政子十と、....
放浪記(初出)」より 著者:林芙美子
返してみると懐しい昔のいゝ夢が段々蘇って来る。 長崎の黄ろいちゃんぽんうどんや尾道の千光寺の桜や、ニユ川で覚えた城ヶ島の唄や、あゝみんないゝ! 絵をならい始....
実践について」より 著者:中井正一
はいませんか」と叫んでいる。フト私の事かも知れんと思って、顔を出すと、「真直ぐに尾道に帰らずに広島に降りて下さい。労働者が待っていますから。鉄道電話の連絡です。....
聴衆0の講演会」より 著者:中井正一
夢のような終戦、疎開先から帰る荷馬車のほこりっぽい街、内海の潮の香のただよう尾道市の図書館の暗い部屋で、私は、何となく「暗澹」という文字を胸に書いてみた。 ....
私の先生」より 著者:林芙美子
私は十三歳の時に、中国の尾道《おのみち》と云う町でそこの市立女学校にはいった。受持ちの教師が森要人と云う....
青春の息の痕」より 著者:倉田百三
な問題に感ぜられます。そしてこれがために少なからず心の平安を乱されます。 私は尾道の姉の来るか来ないか決まるまで、心を静かにして苦痛を忍耐し、妹を慈しみつつ、....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
灌木あるも、絶えて田圃なし。午後に至り、海峡の狭くして川のごとき所を進航す。わが尾道近海を渡るがごとし。その両岸には、全く岩石より成れる連山の数里にわたるあり。....
新撰組」より 著者:服部之総
料詳細をきわめた二つの新撰組記録、子母沢寛《しもざわかん》氏『新撰組始末記』、平尾道雄氏『新撰組史』、いずれも昭和三年版について考案したまえ。....