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居館
「居館〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
居館の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
界隈に見られないころに、開港の記念としてできた最初の和洋折衷の建築である。大坂の
居館を去って兵庫の方に退いていた各国公使らは、それぞれ通訳に巧みな書記官をしたが....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
不破の関守氏は、屋形の隅々をめぐり、ここを指し、彼処《かしこ》を叩いて、往昔の
居館の構図を聯想してお銀様に地の理を説明し、ほぼその要領をつくした後に、お銀様の....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
。山本定信のことかい。あいつがつまり、これじゃアないか。この、阿片だよ。奴の北京
居館は五十何室阿片でギッシリつまっていると云われているな。高位高官へタダの阿片を....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
後門の狼に譲り渡したという結果となってしまったのである。ことに清衡は康保年中その
居館を江刺郡豊田館から、さらに南の方磐井郡の平泉に移し、さきに安倍氏が衣川の外に....
「三国志」より 著者:吉川英治
は、総勢五百をかぞえられた。 太守は、直ちに、玄徳らの三将を迎えて、その夜は、
居館で歓迎の宴を張った。 大将玄徳に会ってみるとまだ年も二十歳台の青年であるが....
「三国志」より 著者:吉川英治
であるな) と、張遼も、いまは明らかに観ぬいて心に愕きながらその足ですぐ曹操の
居館へいそいだ。 関羽の心底は、すでに決まっている。彼の心はもう河北の空へ飛ん....
「三国志」より 著者:吉川英治
孫乾の便りを待っていた。――その孫乾は、冀州へまぎれ入って、やがて首尾よく玄徳の
居館をさぐり当て、ようやく近づくことができた。 その後の一部|始終から一族の健....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
のまであった。 古市の出屋敷とは、つまり出張り所のことだ。 散所ノ太夫自身の
居館は石川の岡なので、古市は彼の城下町勢力というものだろう。とにかく南河内、北河....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
高津港の海賊、高津道性も海陸軍ふた手にわかれて、中国探題の長門の庁――北条時直の
居館を水陸から攻めていた。 時直はやぶれて、闇夜に関門海峡を逃げわたり、一時九....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
新兵衛たちは一|行四、五十人の徴税使をつれて世良田へ入った。といっても、義貞の
居館へではない。その隣の“館ノ坊”とよぶ寺だった。 館ノ坊と、義貞の館とは、べ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
とんど、ここは手薄だったのだ。 しかし、少弐妙恵は、よく防戦した。 太宰府の
居館を焼かれたので内山にたてこもり、一族の託磨、中村などの少数を督して、よく一日....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
ぶ民家が散在している。 武蔵の父新免無二斎や、本位田家の祖先が伝えていた城主の
居館の址は、今は形もなく、僅かに山頂の平地から山の東北面にかけて、往時の土台石と....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
白眼に耐えて来たようなまろい背を、今もかがめたままでいる。 若い高氏のいた頃の
居館は、この鑁阿寺ともいわれるが、四囲の地形から市の背後の本城山(今、両崖山)か....