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山の講
「山の講〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
山の講の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「本州横断 癇癪徒歩旅行」より 著者:押川春浪
水子は山嶽《さんがく》志でも読んで来たものと見え、得意になって頻《しき》りに八溝
山の講釈をやる。 「そもそもこの八溝山というのは、全く海抜三千三百三十三尺という....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
が、どうもじっとして仕事がしていられないと見え町内のことから、何からかから、成田
山の講元でもあれば裁判所のことにも興味をもっていた。だから、ある時は、修験者のか....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
扇音々大岡政談」によって今もしばしば上演を繰り返されているが、その原作は神田|伯
山の講談である。伯山はこの講談の創作に苦心し、殊に紀州調べに遣わしたる家来らが容....
「贋物」より 著者:葛西善蔵
ヒ」こういった調子で、耕吉の病人じみた顔をまじまじと見ては、老父は聴かされた壇特
山の講釈を想いだしておかしがった。五十近い働き者の女の直覚から、「やっぱしだめだ....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
確かに名人といってもよい」
立て板に水を流すような小次郎の弁舌だった。叡
山の講堂でも、この弁をふるって演舌したことであろうと思われる。
「――素人考えだ....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
日かまたは寅の日を以て、山の神の出入りの日とし、慎しみ深い祭をしている。この日を
山の講というので、ちょっと見ると農事に関係がないように取れるが、これに参与する者....