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「山岡〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

山岡の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
》の業《わざ》などをいたして居ります。ふと通り掛った武士、黒羅紗《くろらしゃ》の山岡頭巾《やまおかずきん》を目深《まぶか》に冠《かぶ》り、どっしりとしたお羽織を....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
同居中 村上勝郎先生(友人) 若林町四〇〇 萩原喜一郎殿(大家サン)山岡荘八殿(友人) 若林町一一〇 大下宇陀児殿(友人) 豊島区雑司ケ谷....
名人長二」より 著者:三遊亭円朝
は幸兵衞夫婦丁度霜月九日の晩で、宵から陰る雪催しに、正北風の強い請地の堤を、男は山岡頭巾をかぶり、女はお高祖頭巾に顔を包んで柳島へ帰る途中、左右を見返り、小声で....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
と諸般の処置とを総裁し順々として条理を錯乱せしめなかったは、大久保一翁、勝安房、山岡鉄太郎の諸氏である。しかし、幕府内でも最も強硬な主戦派の頭目として聞こえた小....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
御遠慮申し上げたと見える。」 半蔵夫婦の言葉だ。 そのうちに、御先発としての山岡鉄舟の一行も到着する。道路の修繕もはじまって、この地方では最初の電信線路建設....
転機」より 著者:伊藤野枝
かり見晴せますなんていってたけれど、そんな高い堤防があるんでしょうか?」 私と山岡がそういって立ち止まった時には、小高くなった畑地は何処か後の方に残されて、道....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
蘭学などをメシの種にしていた。習うこと二三年、海舟が官について多忙になったので、山岡鉄舟にあずけられた。そのとき虎之介は今なら小学校四五年生ぐらいの子供、それか....
首頂戴」より 著者:国枝史郎
の武士が警護したが、これお証拠の品物である。それから熨斗目麻上下、大小たばさんだ山岡|主計、お証拠お預かりの宰領である。白木柄の薙刀一振を、紫の袱紗で捧げ持ち、....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
師事し、一世を空うする英雄であったが、慶喜に一切を任せられるに及び、大久保一翁、山岡鐡舟などと、東奔西走心胆を砕き、一方旗本の暴挙を訓め、他方官軍の江戸攻撃を食....
仇討姉妹笠」より 著者:国枝史郎
て行く途中らしい。 二十人に近い植木師たちは、例によって袖無しに伊賀袴を穿き、山岡頭巾をかむった姿で、粛々として歩いていた。 その中に一人女がいた。意外にも....
塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
をこなして居るは此の山村の杣と見えて、傍の方に山菅で作った腰簑に、谷地草で編んだ山岡頭巾を抛り出してあって、燻ぶった薬鑵と茶碗が二つと弁当が投げ出してあるを見て....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
ピタピタと足音が、近付いて来るではございませんか。で、振り返ってみましたところ、山岡頭巾で顔を包んだ、一人の武士が一間の背後に、追い逼っているではございませんか....
縁談」より 著者:佐藤垢石
のであった。 四 私は汽車のなかで、何かのきっかけに思い出したのは、山岡という友人であった。 山岡は、親友というほどでもないが、若い時からの知り合....
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
え、ちょっと輪飾が後に附いて居ります。駕籠の煽りをポカリと揚げて中から出た侍は、山岡頭巾を真深に冠り、どっしりした無紋の羽織を着、仙台平の袴を穿き、四分一拵えの....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
云い、「塩尻」(「古事類苑」引)にも、 禁裏院中の御築地の塵穢を掃ふ者は、丹波国山岡(国の誤謬)より来り、是を己募志といふ。塵穢を覆ひ棄るの謂歟。 とあるのに....