山岡鉄舟[語句情報] » 山岡鉄舟

「山岡鉄舟〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

山岡鉄舟の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
御遠慮申し上げたと見える。」 半蔵夫婦の言葉だ。 そのうちに、御先発としての山岡鉄舟の一行も到着する。道路の修繕もはじまって、この地方では最初の電信線路建設....
謀叛論(草稿)」より 著者:徳冨蘆花
なって、我らは十二名の革命家の墓を建てずに済んだであろう。もしかような時にせめて山岡鉄舟がいたならば――鉄舟は忠勇無双の男、陛下が御若い時英気にまかせやたらに臣....
青年」より 著者:森鴎外
「頭の中があの店のようになっている人もあるね」 二人はたわいもない事を言って、山岡鉄舟の建てた全生庵の鐘楼の前を下りて行く。 この時下から上がって来る女学生....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
蘭学などをメシの種にしていた。習うこと二三年、海舟が官について多忙になったので、山岡鉄舟にあずけられた。そのとき虎之介は今なら小学校四五年生ぐらいの子供、それか....
次郎物語」より 著者:下村湖人
と、先生は、ちょっと首をかしげて、微笑した。そして、しばらく考えていたが、 「山岡鉄舟という人は、非常な剣道の達人で、しかも幕末の血なまぐさい頃に仂いた人だが....
次郎物語」より 著者:下村湖人
清水に行き、三保付近の進んだ農業経営や久能付近の苺の石垣栽培など見学し、その夜は山岡鉄舟にゆかりの深い鉄舟寺ですごすことにした。 鉄舟寺は、朝倉先生と次郎にと....
」より 著者:森鴎外
の来た方角へ曲がる処で終って、それから医学生が虫様突起と名づけた狭い横町が、あの山岡鉄舟の字を柱に掘り附けた社の前を通っていた。これは袋町めいた、俎橋の手前の広....
美術学校時代」より 著者:高村光太郎
上ったり下りたりするような坂であった。下の谷中道の両側はずっと田圃になっており、山岡鉄舟の全生庵等があった。毎年秋になると団子坂は菊人形で賑わった。森鴎外先生は....
円太郎馬車」より 著者:正岡容
いた。 圓朝の家 梅咲くや財布のうちも無一物――禅味のある一流の字で認められた山岡鉄舟先生の半折をお手本にして、三遊亭圓朝は、手習いをしていた。浅草代地河岸の....