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「山形県〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

山形県の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
支倉事件」より 著者:甲賀三郎
長の慧眼を称えるように司法主任は答えた。 署長の見込は外れなかった。支倉の本籍山形県へ照会すると、果して彼は窃盗の前科三犯を重ねた曲者だった。宣教師の資格も正....
たずねびと」より 著者:太宰治
、方向をかえて、小牛田から日本海のほうに抜け、つまり小牛田から陸羽線に乗りかえて山形県の新庄に出て、それから奥羽線に乗りかえて北上し、秋田を過ぎ東能代駅で下車し....
社会時評」より 著者:戸坂潤
来た「農村婦女子離村防止委員会」(市町村長・警察署長・職業紹介所長等からなる)や山形県下の「娘を売るな!座談会」などの、道徳に就いても、云いたいことなのである。....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
道徳経済の教育とによって、凶作飢饉を切り抜けようというのである。 青年道場は、山形県の自治講習会に始まり、茨城県の農民道場に於て官営化されたものの延長に他なら....
」より 著者:斎藤茂吉
童の居る旅館などといったら、殆ど言語に絶するほど蚤が沢山いた。 僕は終戦の年に山形県の生れ故郷に疎開したが、そのときも先ず夏季の蚤を恐れた。そこで、出来るだけ....
狸と同棲する人妻」より 著者:田中貢太郎
山形県|最上郡豊田村に沓澤仁蔵と云う行商人があった。仁蔵は壮いに似あわず、家業に....
生前身後の事」より 著者:中里介山
われる、福田氏に譲り渡しの間を周旋したものは松岡俊三君であった。 松岡君は今は山形県選出の政友会の代議士となっているが都へ入社したのは余と同時であった、当時余....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
十三年に禁止された。 一座が組織立っていたせいか、今でも一番名が残っているのは山形県の斎藤女相撲団であろう。斎藤という人は信濃のサムライあがりだが、山形ではじ....
老狸伝」より 著者:佐藤垢石
大いに喜んだのである。 越後岩船郡は新潟県の東北にあり、越後山脈を中に挟んで、山形県と境を接している。友人からきた手紙によると、野狸の方は村上近在の農村へ、の....
水の遍路」より 著者:佐藤垢石
試みた。 尾瀬ヶ原から、只見川の渓谷へ入って、岩代国の岩魚を釣ったこともある。山形県の最上川も覗いた。荷口村の養鱒場で、美味口に奢る虹鱒の饌も嗜んだ。 越後....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
私の内弟子となったが、美術学校へ入学、卒業後一家を為している。 斎藤作吉君は、山形県鶴岡の出身で私の門下で彫刻を学び後美術学校鋳金科へ入学し、優等で卒業し後朝....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
臆説を述べてみたい。 佐々木君の報告の中に、黒川友恭著「荘内方言考」を引いて、山形県荘内地方では、他の地方ではオシラ神というものを、オコナイ様というとの事が見....
西航日録」より 著者:井上円了
クリット大学を訪い、校長サストリー先生に面会し、図書館内を一覧す。午後、妻沼氏(山形県人)在学の学校にて挙行せる賞品授与式を傍観す。インドは当時晴期にて、毎日快....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
説で印象に残ったものを、自慢話めくが二、三披露してみよう。 その一つは昭和初年山形県の酒田公会堂で行われた日本農民組合の地主糾弾演説会である。二千人の聴衆を前....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
昨年十一月に始めて出羽の踏査に着手したその続きを、この春の休暇中にやってみたいと思っている折から、山形県史蹟名勝天然記念物調査委員会の開会式が行われるので、やって来ぬかと理事官の....