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「山田奉行〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

山田奉行の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、そのお手槍《てやり》をお貸し下されますまいか」 暫らく見ていた宇津木兵馬は、山田奉行の役人の下僕《しもべ》とも見える男の傍へ寄って、その持っている槍をお貸し....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
お前の方が心配になるだろう、それだもんだから俺らは大湊へ逃げたんだね、そうすると山田奉行の方からも人が出て両方から取捲いてしまったんだよ、けれども俺らはそこんと....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
た目頭から、うるおってくる瞳で、なお巻を読み進めて行く。 「親類ノ牧野長門守ガ山田奉行ヨリ長崎奉行ニ転役シタガ、ソノ月、水心子秀世ガ云イ人デ、虎ノ門外桜田町ノ....
丹下左膳」より 著者:林不忘
児であった。 この秀麗な気概《きがい》は、当時まだひらの大岡忠右衛門といって、山田奉行を勤めていた壮年の越前守忠相の胸底に一脈あい通ずるものがあったのであろう....
魔像」より 著者:林不忘
早朝、忠相は非公式に右近を審《しら》べて、伊勢の名家《めいか》の出《で》と知り、山田奉行当時の友人の息《むすこ》ではあり、且つ人違いで当の喬之助ではないので、お....
巷説享保図絵」より 著者:林不忘
―」 享保《きょうほう》七年のことで、忠相は、四十六歳になる。四十六歳の忠相は山田奉行として、また普請奉行の一年間、それから江戸南町奉行に任官してこの五年のあ....
大岡越前」より 著者:吉川英治
る。 評定所出仕の命をうけてからも、精勤賞をもらった程だった。そして翌年すぐ、山田奉行となって、伊勢へ赴任した。 能登守に叙任され、任地では、地方奉行として....