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山田美妙
「山田美妙〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
山田美妙の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「言語体の文章と浮雲」より 著者:幸田露伴
苦心の話をも聞知ったのでありました。 当時所謂言文一致体の文章と云うものは専ら
山田美妙君の努力によって支えられて居たような勢で有りましたが、其の文章の組織や色....
「千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
自国に芽ぐんで来た言文一致の試みを採りあげるに躊躇していたほどの時代を考えると、
山田美妙、長谷川二葉亭二氏などの眼のつけかたはさすがに早かったと思われる。 私....
「科学と文学」より 著者:寺田寅彦
誌が現われて、露伴紅葉等多数の新しい作家があたかもプレヤデスの諸星のごとく輝き、
山田美妙のごとき彗星が現われて消え、一葉女史をはじめて多数の閨秀作者が秋の野の草....
「文学における今日の日本的なるもの」より 著者:宮本百合子
間探究の態度の真実さに打たれてのことなのであった。 「浮雲」が発表される前後に、
山田美妙斎による言文一致の運動が擡頭した。これは、漢文読下し風な当時の官用語と、....
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
憲法発布のお祝いが東京市中をひっくりかえしているときに、森有礼が刺され、文学では
山田美妙の「胡蝶」の插画に初めて裸体が描かれ、それに対する囂々たる反響が、同じ読....
「婦人作家」より 著者:宮本百合子
かいた大塚楠緒子の死後、作品集がのこされていないことにも語られている。田沢稲舟が
山田美妙との恋愛事件に対して世間から蒙った非難に耐えなくて、自殺したことにもあら....
「無題(六)」より 著者:宮本百合子
私が見境いなくものを読みたがり出した頃は、
山田美妙の作品など顧られない時代になって居た。一つも読んだことはないが、感情の表....
「明治十年前後」より 著者:淡島寒月
で、さかんに売れたものである。 版にしないものはいろいろあったが、出たものには
山田美妙斎が編輯していた『都の花』があった。その他|硯友社一派の『文庫』が出てい....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
りようについてもいろいろ示唆するところがあり、些かはその点にもふれたい。それに、
山田美妙とのいきさつによって自殺した田沢稲舟という婦人作家の社会からうけた儒教的....
「田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
の竜《たつ》の都からくる春の潮の、海洋《わたつみ》の霞《かすみ》が娘の目に来た。
山田美妙斎は、尾崎|紅葉《こうよう》、川上|眉山《びざん》たちと共に、硯友社《け....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
、暗に私に諷てつけて散三に当り散らした。ところが、この文壇逸話の筆者は私でなくて
山田美妙であったのだ。私は昔から人の反駁なぞは余り気に掛けない方で、大抵は雲煙過....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
子をして初めて春廼舎以外に二葉亭あるを承認せしめた。 言文一致の創始者としては
山田美妙が多年名誉を独占し、今では美妙と言文一致とは離るべからざるものの如く思わ....
「露伴の出世咄」より 著者:内田魯庵
ある時、その頃金港堂の『都の花』の主筆をしていた
山田美妙に会うと、開口一番「エライ人が出ましたよ!」と破顔した。 ドウいう人か....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
従来、清盛を書いた小説としては、私の寡聞では、明治四十三年千代田書房|発兌の
山田美妙氏の平清盛があるだけではないかと思う。 これには、忠盛の病死前後は、貧....