山県有朋[語句情報] »
山県有朋
「山県有朋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
山県有朋の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大導寺信輔の半生」より 著者:芥川竜之介
彼はことさらに叔父の前に滔々《とうとう》と維新の大業を論じ、上は村田清風から下は
山県有朋《やまがたありとも》に至る長州の人材を讃嘆《さんたん》した。が、この虚偽....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
末明治天皇は畝傍御参拝の為軍艦に召されて神戸に御着、京都にあらせられた。陸軍中将
山県有朋は、陛下に供奉して西下して居たが、西南の急変を知るや、直ちに奏して東京大....
「山県有朋の靴」より 著者:佐々木味津三
ますか」 「わしのことを、このごろまた狂介々々と呼びずてにして、不埒な新聞じゃ。
山県有朋という立派な名前があるのに、なにもわざわざ昔の名前をほじくり出して、なん....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
学内就職に成功したりしたから、そこで氏は西郷南州となった。すると野上氏はさしずめ
山県有朋になるわけだが、なる程之は官僚の元祖であった。 罷免後の氏の消息をあま....
「明治大正美人追憶」より 著者:長谷川時雨
じめ、その後身が、益田《ますだ》男爵の愛妾《あいしょう》おたきであり、妹の方が、
山県有朋《やまがたありとも》公のお貞の方であるというのは、出世の著るしいものであ....
「時 処 人」より 著者:岸田国士
愛さなかつた」と。 アテネの町を小田原の町と置きかえてみたら不都合であろうか?
山県有朋も伊藤博文も、ここに別荘を建て、それぞれ古稀庵、滄浪閣と名づけて、今もそ....
「昭和遊撃隊」より 著者:平田晋策
伊勢湾に向って急行した。伊勢神宮に戦勝を祈るためである。 末山大将は吉田松陰や
山県有朋を生んだ長門《ながと》の国の人である。痩《や》せた小さい提督だが、その眼....
「黒田清隆の方針」より 著者:服部之総
のごとき不急のものを棄てて軍備をさきにせよというのであったが、弾正台も兵部省も(
山県有朋《やまがたありとも》は外遊中)薩派の手中にあったことから、このあらそいを....
「武鑑譜」より 著者:服部之総
段組でぎっしりつまっているのが、内閣総理大臣兼内務大臣陸軍中将従二位勲一等伯爵|
山県有朋《やまがたありとも》を筆頭とし、監獄|石川島《いしかわじま》分署看守副長....