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山背
「山背〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
山背の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
求めて家屋|倉廩を建て、故郷|京師に音信を開きて万代の謀をなす傍、一地を相して雷
山背振の巨木を集め、自ら縄墨を司つて一宇の大|伽藍を建立し、負ひ来りたる弥勒菩薩....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
を船渡せをと喚ばへども聞えざるらし楫の音もせず 〔巻七・一一三八〕 作者不詳 「
山背にて作れる」歌の一首である。「渡せを」の「を」は呼びかける時、命令形に附く助....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
んね。この記録者が聖徳太子のファンなら、入鹿にも悪意はないだろう。もっとも入鹿は
山背大兄王(聖徳太子の子供)とその一族を殺していますね。それにしても、入鹿が
山背....
「痀女抄録」より 著者:矢田津世子
に与かった絵師たちは推古天皇の十二年帰化画師保護のため定められた黄書画師ならびに
山背画師に属する人びととしてものの本にみえている。末賢は大和に住し東漢に属した帰....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
、黒彦皇子・眉輪王等とともに、雄略天皇の為に家ぐるみ焼かれてしまった。蘇我入鹿が
山背大兄王を斑鳩宮に焼かしめた時には、灰中の遺骨を見て王既に死し給うと誤解したと....
「道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
う国史の記事とは矛盾しているが如く見ゆるも、葛城王が母の姓を継いで橘諸兄となり、
山背王が母の家を承けて藤原弟貞となった例を以てこれを観れば、その矛盾は容易に解決....