山谷堀[語句情報] »
山谷堀
「山谷堀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
山谷堀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
す」 「それは何者です。太鼓持か落語家《はなしか》ですか」 「堀の太鼓持、つまり
山谷堀《さんやぼり》の太鼓持で、三八という奴です。なにしろ縄抜けをするくらいです....
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
、柳橋から枕橋、更には水神の杜あたりまでも流れを溯って、月に夜を更かし、帰るさは
山谷堀から清元の北洲に誘られた玉菊灯籠の見物に赴くなど、それぞれの趣向に凝ったも....
「半日ある記」より 著者:寺田寅彦
ゝりては簑打ち払う風流も似合うべくもあらず。今戸の渡と云う名ばかりは流石に床し。
山谷堀に上がれば雨はら/\と降り来るも場所柄なれば面白き心地もせらる。さりとて傘....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
が吾妻橋、橋と門との間が花川戸、花川戸を通り抜けると山の宿で、それから山谷、例の
山谷堀のある所です。それを越えると浅草町で、それからは家がなくなってお仕置場の小....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
次の横丁が芝居町となる。猿若町は三丁目まであって賑わいました。 山の宿を出ると
山谷堀……越えると浅草町で江戸一番の八百善がある。その先は重箱、鯰のスッポン煮が....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
感あり。 三囲《みめぐり》、橋場《はしば》、今戸《いまど》、真崎《まっさき》、
山谷堀《さんやぼり》、待乳山《まつちやま》等の如き名所の風景に対しては、いかなる....
「葛飾土産」より 著者:永井荷風
おうじおとなしがわ》の流の末をたずねては、根岸の藍染川《あいそめがわ》から浅草の
山谷堀《さんやぼり》まで歩みつづけたような事がある。しかしそれはいずれも三十前後....
「里の今昔」より 著者:永井荷風
昭和二年の冬、酉《とり》の市《いち》へ行った時、
山谷堀《さんやぼり》は既に埋められ、日本堤《にほんづつみ》は丁度取崩しの工事中で....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
じ》の音無川《おとなしがわ》も三河島《みかわしま》の野を潤《うるお》したその末は
山谷堀《さんやぼり》となって同じく船を泛《うか》べる。 下水と溝川はその上に架....
「水のながれ」より 著者:永井荷風
より最も興味深く思返さねばならない。何故かというと、この渡場は今戸橋の下を流れる
山谷堀《さんやぼり》の川口に近く、岸に上《あが》るとすぐ目の前に待乳山《まつちや....
「向嶋」より 著者:永井荷風
》。」と唱《うた》われていたほどであったのが、嘉永三年の頃には既に閉店し、対岸|
山谷堀《さんやぼり》の入口なる川口屋お直の店のみなお昔日《せきじつ》に変らず繁昌....
「すみだ川」より 著者:永井荷風
する荷船の燈火《ともしび》が慶養寺《けいようじ》の高い木立を倒《さかさ》に映した
山谷堀《さんやぼり》の水に美しく流れた。門口《かどぐち》に柳のある新しい二階家か....
「濹東綺譚」より 著者:永井荷風
わたくしは土手下の裏町に古本屋を一軒知っていることを思出した。 古本屋の店は、
山谷堀《さんやぼり》の流が地下の暗渠《あんきょ》に接続するあたりから、大門前《お....
「春泥」より 著者:久保田万太郎
、その病気見舞に行ったさきというのが吉野町。……毘沙門さまのすぐそばなんで帰りに
山谷堀についてぶら/\あるいているうち、どうだ、百花園へ行ってみねえか。――小倉....
「雷門以北」より 著者:久保田万太郎
を心細く見出すであろう。そうしてつぎに……いや、それよりも、そうした木立の間から
山谷堀の方をみるのがいい。――むかしながらの、お歯黒のように澱んだ古い掘割の水の....