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「山陰地方〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

山陰地方の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
だるまや百貨店」より 著者:宮本百合子
が片はじから倒産し、機械をとめている。広幅ものの輸出羽二重や人絹を織っていたこの山陰地方の町の機屋は、直接アメリカの恐慌の打撃を蒙ったのであった。近頃では、大勢....
午市」より 著者:宮本百合子
ていた。おふゆの両親が死絶えたので、親類ともいつか疎遠になった小関の一家は、暫く山陰地方にある国へも帰らなかった。今度、健介が、一週間ばかり法事のついでに故郷の....
衝突心理」より 著者:夢野久作
目に信じて、届出なかったらしい。 二人は、それで安心して道行をきめ込み、一旦、山陰地方の乗合会社に身を潜めたが、二千円の金を費い果すと大胆にも、昨、昭和八年の....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
ら種々問合わせがあり、私はいちいち返事を書く暇もないので困っていました。そのうち山陰地方の○○○という小さな町の娘さんから手紙で、ぜひ店において商売を見習わして....
鍬と鎌の五月」より 著者:黒島伝治
農民の五月祭を書けという話である。 ところが、僕は、まだ、それを見たことがない。昨年、山陰地方で行われたという、××君の手紙である。それが、どういう風だったか、僕はよ....
くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
もので、本誌七巻三号の倉光君の報告せられた「蒲とクグ」(五九頁)によると、今でも山陰地方では、山子・木挽・石屋等に限って、叺様の藁縄製の袋を携帯しているが、旧皮....
間人考」より 著者:喜田貞吉
しと見られた雑職人の通称であったのは言うまでもない。なおこの事は後項に説明する。山陰地方にはかつてハチまたはハチヤと呼ばれた一種の階級の民衆があった。山陽道筋で....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
薩摩の南端でナカンマとも呼んでいるから、かなり古くからの名であったことがわかる。山陰地方は一帯に、この食事をハシマと謂って通ずる。ハシマもハサマもまた中間の食物....
年中行事覚書」より 著者:柳田国男
るのである。 ○ そう考えても許さるるかと思う傍証の一つは、これも山陰地方でならば得られる資料で、出雲大社を始めとして、遠方の神々へお詣りに行った....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
冠井に産所という所があって、そこの人はもとやはり賤まれておりました。産所すなわち山陰地方でいうハチヤ或いはハチと同類で、越中でトウナイというのもつまりは「十無い....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
あった。 近畿地方では、俗にいわゆる番太或いは※房をハチと呼ぶところがあった。山陰地方に鉢屋と呼ばれたものもやはりハチで、土師の義であると解せられる。ハチはハ....