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山陰道
「山陰道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
山陰道の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「道草」より 著者:夏目漱石
にはなりますから」 昔し彼が政府の内意で或官職を抛《なげう》った時、当路の人は
山陰道筋のある地方の知事なら転任させても好《よ》いという条件を付けた事があった。....
「海に生くる人々」より 著者:葉山嘉樹
彼は苦しい立場にあった。彼はもし、高等海員になってやや多い収入を得ないならば、
山陰道《さんいんどう》の山中で、冷酷な自然と、惨忍なる搾取との迫害から、その僻村....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
隊の将校集会所でドイツ語を教えているという話だった。登坂は一時水産で大ぶ儲けて、
山陰道のどこかで土地の芸者を二人ばかりかこっていたというほどの勢いだったそうだが....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ぐほどで、しきりに長州行きを主張した。その時の兵部の言葉に、これから間道を通って
山陰道に入り、長州に達することを得たなら、尊攘の大義を暢ぶることも難くはあるまい....
「狂乱」より 著者:近松秋江
いたが、日は瞬く間に経って、そこに来てから半月ばかりして、私は六月の中旬しばらく
山陰道の方の旅行をしていた。けれど、梅雨のころの田舎は悒欝しくって、とても長くは....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
を常とし、これらの地を蚊が襲うようになると、彼等は東海道と東山道、或いは山陽道と
山陰道との山脈間の村落、または北陸道方面を徒渉《としょう》するのを例とする由。 ....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
智郡の山中あたりを通った時の歌だと想像している。私は人麿上来の道筋をば、出雲路、
山陰道を通過せしめずに、今の邑智郡から赤名越をし、備後にいでて、瀬戸内海の船に乗....
「海亀」より 著者:岡本綺堂
ど優せていたよ。 七月の夏休みになって、妹の美智子は郷里へ帰省する。僕の郷里は
山陰道で、日本海に面しているHという小都会だ。僕は毎年おなじ郷里へ帰るのもおもし....
「鯛釣り素人咄」より 著者:佐藤垢石
、九州、四国、紀州から東北、雄鹿半島から北海道まで棲んでいる。日本海は北海道から
山陰道に至るところどこの海にもまた沿海州から朝鮮の東海岸でも漁獲がある。支那海に....
「姫柚子の讃」より 著者:佐藤垢石
かった。天明のころ、長崎へきていた和蘭陀人の調べたところによると、日本には九州と
山陰道だけでも四十幾種類の鰍がいるという。その写生図が、私の友人のところにある。....
「犠牲者」より 著者:平林初之輔
で、ささやかながらも、見かけだけは堅牢な家庭生活を築き上げていた。彼の郷里である
山陰道の農村から、殆《ほと》んど富士山も見ないようにして、まっすぐに彼の家庭へと....
「妖怪学一斑」より 著者:井上円了
。このごろちょっと帰京して参ったので、いずれ四、五日中には再びこの地を出立して、
山陰道諸県下を巡回いたすつもりでござります。それはほかに少し目的があるので、すな....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
巻五号に、乞食を「お薦」ということの由来を論じて、薦蓆を携帯した僧を薦僧と言い、
山陰道筋の鉢屋を苫とも、蒲とも云ったのは、薦を携帯しているが故に薦僧であり、また....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
かの御坊(俗に隠亡、穏亡、※坊などとも書く)の一類、すなわち上方地方の宿(夙)、
山陰道筋の鉢屋、山陽道筋の茶筅、北陸道筋のトウナイなどと呼ばれた人々の如きは、も....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
ら、かねて雑芸・雑職に従事したこと、なお徳川時代の各地のエタや、山陽道筋の茶筅、
山陰道筋の鉢屋の如き状態であったと察せられるのである。かのエタや茶筅・鉢屋の徒が....