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「山陵〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

山陵の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
た原因の一つであろうと言うものもある。過去の皇室の衰え方と言えば、諸国に荒廃した山陵を歴訪して勤王の志を起こしたという蒲生君平や、京都のさびしい御所を拝して哭い....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
を仰せ出されたのは去る八月十三日のことであった。これは攘夷御祈願のため、神武帝御山陵ならびに春日社へ御参拝のためで、しばらく御逗留、御親征の軍議もあらせられた上....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
打尽し去ったことは誰も知っている。 ことに残忍|悽愴《せいそう》を極めたのは、山陵衛士に転向したいわゆる高台寺組に対する、彼等の復讐ぶりの徹底的なことであった....
颱風雑俎」より 著者:寺田寅彦
相当強かったらしい。この災害のあとで、「班幣畿内諸神、祈止風雨」あるいは「向柏原山陵、申謝風水之※」といったようなその時代としては適当な防止策が行われ、また最も....
桜花を詠める句」より 著者:杉田久女
遅桜 砧女 多代女の句にはまだ一幅の絵としても描き足らぬ力弱さがあるが。一方山陵の多いい堺地方にすむ作者は、翠岱の木の間をつづる遅桜を描いて、晩春の詣でる人....
支那の思出」より 著者:国枝史郎
せられたような気がした。 × × × 南京では中山陵も見た。いうまでもなく、中山陵は、ヤングチャイナ建設の偉人孫逸仙を祀った陵で....
余齢初旅」より 著者:上村松園
者みなこみあげてくる涙を禁じ得なかったのである。 悠々風景 中山陵や明の孝陵や石人石獣をみたり、紅葉がなかなかきれいであった。 南京の街はな....
火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
し奉った御骨を砕粉し、大原野西山の嶺上に散らし奉ったとある。されば天皇の御為には山陵の役を起さず、この君に限って延喜式にも、諸陵寮の条に山陵の記事がない。これは....
本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
に傚う者があるも、これは皇子の事であって、帝王の迹《あと》にあらず、我国上古より山陵を起さざるは、未だ聞かざる所である』と諫諍を試みたが、遂に容れられずして上皇....
古事記」より 著者:武田祐吉
るものである。帝紀は、歴代天皇の御名、皇居、治天下、后妃、皇子皇女、崩御、御壽、山陵について述べ、これに大きな事件の項目だけを加えたと見られるものもある。これを....
三国志」より 著者:吉川英治
まい」 「荊州は呉と隣接しておる。荊州の内情をふかく語ってみよ」 「江川の流れは山陵を縫い、攻守の備えに欠くるなく、地味はひらけて、民は豊かです。――しかしこの....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
葬式の祖業を廃して、その居地の名に因んで菅原氏、秋篠氏と称し、或いは御生母大枝の山陵の名を取って、大江氏を名告り、それぞれ学者の家を起した。これが為に土師氏は、....
茸をたずねる」より 著者:飯田蛇笏
に咫尺を弁じ得る濃い白雲の中を、峰伝いに下っては登り登っては下って行く。四十雀や山陵鳥が餌をあさりながら猿麻※の垂れ下った樹間に可憐な音をころがしつつ遊んでいる....