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岐阜
「岐阜〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
岐阜の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「疑惑」より 著者:芥川竜之介
《じっせんりんりがく》の講義を依頼されて、その間《あいだ》かれこれ一週間ばかり、
岐阜県《ぎふけん》下の大垣町《おおがきまち》へ滞在する事になった。元来地方有志な....
「西郷隆盛」より 著者:芥川竜之介
んやりM・C・Cの煙をふかしていた。さっき米原《まいばら》を通り越したから、もう
岐阜県の境《さかい》に近づいているのに相違ない。硝子《ガラス》窓から外を見ると、....
「高野聖」より 著者:泉鏡花
とからからと笑った、慎《つつし》み深そうな打見《うちみ》よりは気の軽い。
二
岐阜《ぎふ》ではまだ蒼空《あおぞら》が見えたけれども、後は名にし負う北国空、米原....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
郎承って殿りを勤めた。金ヶ崎殿軍として太閣出世|譚の一頁である。 信長やがて、
岐阜に引き上げ、浅井征伐の大軍を起し六月十九日に発向して、浅井の居城小谷に向った....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
が、三方ヶ原へ兵を出したのは、一家康を攻めんとするのではなく、三河より尾張に入り
岐阜を攻めて信長を退治し、京都に入らんとする大志があったからだ。 だから、三方....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
たのであるが、秀吉は、安土城の修復を俟って、三法師丸を迎え入れようとした。然るに
岐阜の信孝は、三法師丸を秀吉の手に委ねようとしない。秀吉をして三法師丸を擁せしめ....
「空襲下の日本」より 著者:海野十三
まず琵琶湖の東側に八日市の飛行連隊がある。それから僅か七十キロほど東の方に行った
岐阜県の各務ヶ原に、これもまた陸軍の飛行連隊が二つもある。大阪附近も大丈夫だし、....
「歌行灯」より 著者:泉鏡花
らないからね、今切は越せません。これから大泉原、員弁、阿下岐をかけて、大垣街道。
岐阜へ出たら飛騨越で、北国筋へも廻ろうかしら、と富田近所を三日稼いで、桑名へ来た....
「伊勢之巻」より 著者:泉鏡花
も、絶えず、一叢の薄雲がかかって、淑ましげに、その美を擁護するかのごとくである。
岐阜県××町、――里見稲子、二十七、と宿帳に控えたが、あえて誌すまでもない、
岐阜....
「指輪一つ」より 著者:岡本綺堂
一旦は躊躇したのですが、やっぱり行ってみたいという料簡が勝を占めたので、とうとう
岐阜で道連れに別れて、一騎駈けて飛騨の高山まで踏み込みました。その道中にも多少の....
「鼠」より 著者:岡本綺堂
、上田などを打って廻り、それから北国へはいって、越後路から金沢、富山などを廻って
岐阜へまいりました。ひと口に申せばそうですが、そのあいだに、足掛け三年の月日が経....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
二等銀牌) 同 三十四年 「園裡春浅」新古美術品展出品(一等褒状)「吹雪」第一回
岐阜県絵画共進会出品(銅牌)「半咲図」絵画研究大会展出品(銅牌) 同 三十五年 ....
「妖怪玄談」より 著者:井上円了
、美濃国恵美郡中野方村、山田氏より昨年寄せられたる書状によるに曰く、 名古屋、
岐阜をはじめ尾濃いたるところ、当春来一時流行せしものは、その称を狐狗狸また御傾き....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
いう役を立派に勤め得るものは、やはり彼のほかになかった。 明治二十六年、かれは
岐阜県多治見町で興行中に、法界坊の宙乗りから墜ちて片足を挫いた。全治の後も幾分か....
「飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
たが、恋の種はお葉の胸に播かれた。東京の深川に生れて、十六の年から神奈川、豊橋、
岐阜と東海道を股にかけたウエンチ生活の女が、二十三という此年の夏に初めて真の恋を....