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「岡倉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

岡倉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
虚構の春」より 著者:太宰治
》候《そうろう》。小生、日本人ノウチデ、宗教家トシテハ内村鑑三氏、芸術家トシテハ岡倉天心氏、教育家トシテハ井上哲次郎氏、以上三氏ノ他ノ文章ハ、文章ニ似テ文章ニア....
般若心経講義」より 著者:高神覚昇
はではなかったのです。美と自然とであったのです。 和敬清寂のこころ 右の話は、岡倉天心の書いた『|茶の本』にも出ておりますが、「清潔」「清寂」を尊ぶ茶人の心に....
俳諧の本質的概論」より 著者:寺田寅彦
近な一例に過ぎない。 俳諧は截断の芸術であることは生花の芸術と同様である。また岡倉氏が「茶の本」の中に「茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、現わす事....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
も文部へ入って来てなかなか頭の好い者も出来た、即ち先進者では高橋健三氏、それから岡倉覚三氏木場貞長氏沢柳政太郎氏渡辺董之助氏などである。こんな事で私は最《も》う....
文学的自叙伝」より 著者:林芙美子
乱視の状態にまでなりましたが、私は毎日図書館通いをして乱読暴読しました。ここでは岡倉天心《おかくらてんしん》の茶の本とか唐詩選、安倍能成《あべよししげ》と云う方....
回想録」より 著者:高村光太郎
になれと言って交渉して来た。父は、そんなものはおかしくてなれないと断っていたが、岡倉さんに呼出されて懇々説諭されて漸く引受けたらしい。天心先生がある時、不意に遊....
美術学校時代」より 著者:高村光太郎
色の闕腋で、頭には折烏帽子を被り、下には水浅葱色の段袋を穿くという、これはすべて岡倉覚三先生の趣味から来たものであったが、どうも初めそれを着るのが厭で気羞かしく....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
問されました。 「高村さん、今日は私は個人の用向きで来たのではありません。今日は岡倉覚三氏の使者で来たのです」 という前置きで、その用件を話されるのを聞くと、私....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
三月十二日にお雇いを拝命すると、間もなく、岡倉幹事は私に奈良見物をして来てくれということでした。岡倉氏という人はいろいろ深....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
の方へ関係のある人たち――たとえば博物館長の九鬼隆一氏。佐野常民氏。学校の方では岡倉先生――そういう方たちに右の帝室技芸員という役目について訳を聞きますと、「そ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
募りに応じた図案が余り沢山ではなかったがかなり集まりました。その中で当選したのが岡倉秋水氏の図案であった(秋水氏は第一期優等の卒業生)。まずこの当選の図案を基と....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
そこで、彫刻製作となるのですが、岡倉校長は、主任は高村光雲に命ずるということであり、それから山田|鬼斎先生を担任....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
のでありましょう。 それで、右の木彫を宮城へ持って来て御覧に供せよとの御沙汰が岡倉校長に降ったのでありました。その事について、三月十七日、斎藤侍従が学校へお出....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
した。 こんなことから、美術学校にも石の部を設けたらどうかという話などが出て、岡倉校長も賛成して、俵氏に標本を作らせて、石を生徒にやらせたりしました。 光石....
茶の本」より 著者:岡倉由三郎
恐れがあることを村岡氏は懸念されたためである。 昭和四年一月三日 洋々塾にて岡倉由三郎....