岩井半四郎[語句情報] » 岩井半四郎

「岩井半四郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

岩井半四郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
き》、中幕勧進帳、二番目が安達原で、一ノ谷の熊谷は八代目団十郎、敦盛は後に八代目岩井半四郎になった粂三郎、相模は誰であったか今記憶せぬ。勧進帳は、富樫が八代目団....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
時、河内山宗俊(団十郎)片岡直次郎(菊五郎)金子市之丞(左団次)大口屋の三千歳(岩井半四郎)という顔ぞろいで、いずれも好評を博したと云うことも確かに一つの原因で....
大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
十郎を筆頭とし仁木弾正を最得意とする五代目松本幸四郎、市川|男女蔵、瀬川菊之丞、岩井半四郎は云うまでもなく坂東三津五郎も名人として空前の人気を博していた。 「三....
夢のお七」より 著者:岡本綺堂
七の墓はよほど荒廃していたらしい。お七の墓が繁昌するようになったのは、寛政年中に岩井半四郎がお七の役で好評を博した為に、円乗寺内に石塔を建立したのに始まる。要す....
市川九女八」より 著者:長谷川時雨
《えいき》三津五郎という名人の弟子で、まあ、ちょっとない名人だよ、高名なものさ。岩井半四郎は、大杜若《おおとじゃく》と呼ばれた人の孫だったかで、好い容貌《きりょ....
役者の一生」より 著者:折口信夫
は江戸へ来た始めから、上方の女形として下った家柄である。五代目が田之助或は先輩の岩井半四郎などの芸をよく見ていたのは、尾上家の伝統を正しく襲ぐ者であった。一つに....
京鹿子娘道成寺」より 著者:酒井嘉七
歌舞伎芝居が好きであり、 瀬川菊之丞 芳澤いろは 嵐雛助 瀬川吉次 名見崎東三郎岩井半四郎 と申しますように、ずらりと並んだ、江戸名代役者のお芝居を、のがしたく....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
の六三をざんぎり物に書き直した新狂言に、五代目菊五郎が大工の六三郎に扮し、八代目岩井半四郎が福島屋の娘お園に扮して、いずれも好評を博したのから起こったもので、六....
源之助の一生」より 著者:岡本綺堂
得るかも知れない。 江戸末期より明治の初年に亘って、名女形として知られた八代目岩井半四郎は、明治十五年二月、五十四歳を以て世を去った。源之助がその年の冬、四代....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
て、余はその意匠の奇抜なるに一驚せり。また巴里《パリー》人ジヨオ蒐集板画目録中|岩井半四郎《いわいはんしろう》が座頭《ざとう》に扮《ふん》せる所作事《しょさごと....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
の夕刻、猿若座の興行中に出火して全焼。幸いに怪我人少なし。 ○二月十九日、八代目岩井半四郎死す、五十四歳。粂三郎といいたる青年時代より、美貌を以て評判の高き女形....