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岩代
「岩代〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
岩代の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「天守物語」より 著者:泉鏡花
播州姫路。白鷺城の天守、第五重。 登場人物 天守夫人、富姫。(打見は二十七八)
岩代国猪苗代、亀の城、亀姫。(二十ばかり)姫川図書之助。(わかき鷹匠)小田原修理....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
の露われたのは、それから中一年を置いた四年の七月であった。 万治二年二月には、
岩代、下野、武蔵に大きな地震があった。寛文年間も大きな地震の多い年であった。元年....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
さておき、江戸を中心としては静岡地方――それから常陸《ひたち》から磐城《いわき》
岩代《いわしろ》へかけて、採炭の見込みがある。それから燃ゆる土、燃ゆる水の発祥地....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
助、浜田廉、宗形直蔵というような人たちが、否、黒塚は決して陸前の名取郡ではない、
岩代の安達郡であると考証したものである。これには、さすがの喜田博士も参って、神妙....
「山の湯雑記」より 著者:折口信夫
きっと出あるく事にして居た。 古くから聞えて居る最上の高湯と、山は隔てて居るが、
岩代の国の信夫の高湯と、それに此白布と、五里ほどの間に、三つの高湯がある。峡間の....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
条に、「於解」の記事がある。この歌は行宮へ送られる途中磐代(今の紀伊日高郡南部町
岩代)海岸を通過せられた時の歌である。皇子は十一日に行宮から護送され、藤白坂で絞....
「香魚の讃」より 著者:佐藤垢石
四 常陸国の久慈川の鮎は、質の立派な点に味聖の絶讃を博している。水源地方
岩代国の南部に押し広がった阿武隈古生層は、久慈川に美しき水の滴りを贈っているので....
「たぬき汁」より 著者:佐藤垢石
、友人が言うにいやそんないかさま狸ではない。正真正銘の狸である。実は、自分の郷里
岩代の国の寒村では、近年狸の人工飼養が大分流行している。県農会などでも大いに奨励....
「水と骨」より 著者:佐藤垢石
たとえば、手近の例が上越国境即ち白根火山の北方、信濃の渋峠を地点として東方へ走り
岩代、上野、下野の三国境付近の尾瀬沼の東でつきる山脈の裏表は完全に、日本海へ注ぐ....
「水の遍路」より 著者:佐藤垢石
った。筑波のみなの川では、はやを試みた。 尾瀬ヶ原から、只見川の渓谷へ入って、
岩代国の岩魚を釣ったこともある。山形県の最上川も覗いた。荷口村の養鱒場で、美味口....
「植物知識」より 著者:牧野富太郎
しめたものである。ゆえに、このノハナショウブは栽培ハナショウブの親である。昔かの
岩代《いわしろ》〔福島県の西部〕の安積《あさか》の沼のハナショウブを採《と》り来....
「遠野の奇聞」より 著者:泉鏡花
りて、峰づたいに日光辺まで、のさのさと出で来らむとする概あり。 古来有名なる、
岩代国会津の朱の盤、かの老媼茶話に、 奥州会津|諏訪の宮に朱の盤という恐しき化物....
「雪の透く袖」より 著者:鈴木鼓村
若松から喜多方を経て、大塩峠を越え、磐梯山を後方にして、檜原の山宿に一泊し、終に
岩代、羽前の境である檜原峠を越えて、かの最上川の上流の綱木に出で、そして米沢まで....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
が少ないと見えて、一度も出方から返礼を貰った例はなかった。 この七月十五日には
岩代の磐梯山破裂という怖ろしい出来事があって、五百人ほどの惨死者を出したという報....
「平ヶ岳登攀記」より 著者:高頭仁兵衛
を知っているだけに、そうしてくれということが出来ない、自分は平ヶ岳を断念して直に
岩代の檜枝岐へ行くことに決心した、その年の十月に大林区の役人が平ヶ岳へ調査に来る....