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岩倉具視
「岩倉具視〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
岩倉具視の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「星座」より 著者:有島武郎
石《といし》のように彎曲《わんきょく》していた。時計のすぐ下には東北御巡遊の節、
岩倉具視《いわくらともみ》が書いたという木の額が古ぼけたままかかっているのだ。「....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
なかったと云う。そして自ら西下して、西郷に説こうとしたが、周囲の者に止められた。
岩倉具視も心配の極、勝安房をして行って説諭させんとした。これは江戸城明け渡しの因....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
この御結婚には宮様も御不承知であった。ところが京都方にも、公武合体の意見を抱いた
岩倉具視、久我建通、千種有文、富小路敬直なぞの有力な人たちがあって、この人たちが....
「私たちの建設」より 著者:宮本百合子
学、地理、歴史、などの勉強をした。後に津田英学塾を設立した津田梅子が、六つの歳に
岩倉具視の一行とアメリカへ留学(明治四年)したり上流婦人でも男に劣らない一般教育....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
て、次に少々列挙してみますと、 勝安房 四十四歳 大村益次郎 四十五歳
岩倉具視 四十二歳 西郷隆盛 三十九歳 大久保利通 三十七歳 木戸孝允....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
を議定するため、小御所で会議を行なわせられた。中山忠能、正親町實愛、徳大寺實則、
岩倉具視、徳川慶勝、松平慶永、島津義久、山内容堂、西郷隆盛、大久保利通、後藤象二....
「にらみ鯛 」より 著者:佐藤垢石
。ご用談が、予定以上に長くなって、灯がつく頃になっても禁裡を退出しなかった。侍従
岩倉具視は、 (この機を逸しては――) と、考えた。そして、久我建道と相談して....
「ロザリオの鎖」より 著者:永井隆
降りつづいた雪は処女の肌を完全に清らかに包み隠してくれたのでした。 明治四年、
岩倉具視の一行は特命全権大使として欧米に派遣せられ、キリスト教の正しい姿をまのあ....