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「岩手県〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

岩手県の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
散華」より 著者:太宰治
ろへ、はじめてやって来た頃は、ふたり共、東京帝大の国文科の学生であった。三田君は岩手県花巻町の生れで、戸石君は仙台、そうして共に第二高等学校の出身者であった。四....
壊滅の序曲」より 著者:原民喜
がずれさがって、恐しく調子を狂わしている。――そんな感想を彼は友人に書き送った。岩手県の方に疎開している友からもよく便《たよ》りがあった。「元気でいて下さい。細....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
れば、「災害費」こそ最も即効のある国防費ではないのか。 矯風会の久布白女史は、岩手県の「壮丁」の体格が三十三年度に全国で五番から三十四位に転落したのは、大正二....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
どと思い、その教えを深く感謝した。この山葡萄に着目したのは私ばかりでなく、福島県岩手県等でこれから葡萄液を製造することを思いつき、苦心研究中の人があった。私はそ....
『注文の多い料理店』新刊案内」より 著者:宮沢賢治
のような状景《じょうけい》をもって実在《じつざい》したドリームランドとしての日本岩手県である。 そこでは、あらゆることが可能《かのう》である。人は一瞬《いっしゅ....
山の雪」より 著者:高村光太郎
、あたまから雪を白くかぶるのがおもしろくてたまらない。 わたしは日本の北の方、岩手県の山の中にすんでいるので、十一月ごろからそろそろ雪のふるのを見ることができ....
或る農学生の日誌」より 著者:宮沢賢治
行く。北上《きたかみ》山地の上のへりが時々かすかに見える。 さあいよいよぼくらも岩手県《いわてけん》をはなれるのだ。 うちではみんなもう寝《ね》ただろう。祖母さ....
亀の子を握ったまま」より 著者:田中貢太郎
岩手県の北上川の流域に亀ヶ淵と云う淵があったが、そこには昔から大きな亀が住んでい....
田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
とま》を告げようかとしていた。 「山形の方もお寒いのでしょうね、山田の父の出は、岩手県《なんぶ》の山田と申すところですの。いいえ、あたしたちは知りませんけれど。....
文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
っていますが、それでも、四十年前の仙台を想像させるものは十分あるように思います。岩手県の渋民村辺を描いているものに石川啄木の『天鵞絨』があります。 石川啄木『....
啄木と賢治」より 著者:高村光太郎
岩手県というところは一般の人が考えている以上にすばらしい地方だということが、来て....
飢餓地帯を歩く」より 著者:下村千秋
まで、同じように黙々として、何ものも恨まず、何ものにも訴えずに終るのであろうか?岩手県下に三万余人、青森県下に十五万人、秋田県下に一万五千人、そうして北海道全道....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
形勢を知ることが出来よう。 奥羽の地はかつて坂上田村麻呂征夷の偉勲により、今の岩手県の北部から青森県の東南部、すなわち爾薩体から都母にまで皇威を耀かしたのであ....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
坂上田村麿の遠征は大成功でありまして、後世征夷の神として崇められるくらい、今の岩手県中部地方に頑張っておった蝦夷もこれには恐れ入ってしまいました。そこで彼は胆....
融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
ません。そして永久に復興しえざる落伍者が、多数にできたに相違ありません。私は昨年岩手県へ参りまして、盛岡市の郊外の史蹟を視察いたしましたが、道の辻や、寺の門前な....