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「岩木〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

岩木の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
高山の雪」より 著者:小島烏水
ヶ岳(二千九百三十二米突)十月 十日 刈田岳(一千八百二十九米突) 十月十四日岩木山(一千五百九十四米突)十月十五日 八甲田山(一千八百五十二米突)同上 槍....
吉原新話」より 著者:泉鏡花
きちんとして言う。 「私もはじめてです。両側はそれでも画に描いたようですな。」と岩木という洋画家が応じた。 「御同然で、私はそれでも、首尾よく間違えずに来たです....
故郷」より 著者:太宰治
かった。それこそ胸をおどらせて十年振りの故郷の風物を眺めたものだが。 「あれは、岩木山だ。富士山に似ているっていうので、津軽富士。」私は苦笑しながら説明していた....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
で、陸奥湾の緑玉潮がぴた/\言う。西には青森の人煙|指す可く、其|背に津軽富士の岩木山が小さく見えて居る。 青森から芸妓連の遊客が歌うて曰く、一夜添うてもチマ....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
いた松という少女があった。松は魚屋与助の女で、菊、京の二人の妹があった。この京が岩木川の種を宿して生んだのが小錦|八十吉である。 保さんは今一つ、柏軒の奥医師....
源氏物語」より 著者:紫式部
く現われてくるものであるから、しばらく見ているうちに、この人の故人への思慕の情が岩木でない人にはよくわかるのであった。この人を思う心も縷々と言われるのに中の君は....
ヘヤーピン一本」より 著者:豊島与志雄
い。 そもそも、俺が旅行の途次、山陽線のO駅に急行列車からわざわざ降りたのは、岩木周作を訪問するためだった。彼とはもう十年ほど逢わないが、時折交わす書信の調子....
文づかい」より 著者:森鴎外
かえする手だてもがなとおもい悩むほどに、この国をしばしの宿にして、われらを路傍の岩木などのように見もすべきおん身が、心の底にゆるぎなき誠をつつみたもうと知りて、....
」より 著者:岡本綺堂
所々を飛行していたらしい。俗に天狗に掴まれたなどというのは、多くは鷲の仕業で奥州岩木山の鷲が薩摩の少年をさらって行ったというような、長距離飛行の記録もある。 ....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
はこれまでコマから従えてきた一族重臣のみと縁組してきたが深いシサイがあって駿河の岩木僧都道暁の女を室とした。これで源家の縁者となったから根篠の紋を用いる」 深....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
えつけ、その上に猿若町《さるわかまち》の役者を翁と嫗《うば》に扮装させて立たせ、岩木は本物の蓬莱石《ほうらいいし》。亀はこれもまた生きた蓑亀《みのがめ》をつかっ....
越中劍岳先登記」より 著者:柴崎芳太郎
設せんものをと 測夫 鳥取県東白郡市勢村 木山竹吉(三六) 人夫 中新川郡大岩村岩木鶴次郎(二四) その他を率いたが、二等三角点を設けんとせしも、名にし負う嶮山....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
かしその説の由来はすこぶる古いもので、すでに津軽浪岡家の永禄日記十年の条に、同地岩木神社の祠官阿部氏が、やはり同様の系図を持っていた趣きに見えております。しかも....
山の人生」より 著者:柳田国男
元の書物は同氏も知らぬという。津軽での話である。 「中村・沢目・蘆谷村と云ふは、岩木山の※あたりの谷蔭に人語の聴えしまゝ、其声を知るべに谷を下りて打見やりたるに....
日本の伝説」より 著者:柳田国男
んで来たもので、その跡が琵琶湖になったのだという話がありました。奥州の津軽では、岩木山のことを津軽富士といっております。昔この山が一夜のうちに大きくなろうとして....