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「岩松〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

岩松の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
あらくれ」より 著者:徳田秋声
《くすぶ》りきった旅籠屋《はたごや》が、二三軒目についた。石楠花《しゃくなげ》や岩松などの植木を出してある店屋《みせや》もあった。壮太郎とお島とは、そこを俥《く....
神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
る者、弥陀仏像を柱の中に収め朝夕|看経《かんきん》して維新後に及べり、と。白石が岩松氏に与えたる書翰にも、甲州の原虎胤が信玄より改宗を勧められて肯《がえ》んぜず....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
って、清康の子|広忠《ひろただ》、すなわち家康の父がまた天文十四年に、その家臣の岩松|八弥《はちや》なる者に股《また》を刺され、本人の家康また関ガ原の陣において....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
商船学校に在学中で、一家六分離した状態となった。 ◯親類ですでに戦災せるは、牛込岩松町の山中作市氏一家、ほかに樋口(中野)、中条(代々幡)、常田(厩橋)である。....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
二世勝三郎の馬喰町の家は、長女ふさに壻を迎えて継がせることになった。壻は新宿の岩松というもので、養父の小字小三郎を襲ぎ、中村楼で名弘の会を催した。いまだ幾くな....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
、終ってお風呂に入ったばかりのところへ「光子さんがいらっしゃいました」「どの」「岩松さん」絵かきの光子が来た。雨が降っていて十時半頃で、さては神戸から出奔して来....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
いうので、泊っている友達の家へゆきました。(そこがそのドイツ語の女のひとでした)岩松君も二点よこしていたが、夫婦の作品をくらべて、芸術家の夫妻のこわさを痛感しま....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、いくらか警戒の眉を解いて。 「……では、みかどの綸旨をいただきたいと申して来た岩松とやらの使いですか」 「そうです。岩松|経家の直書をもって、はるか四国の阿波....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、阿波勝浦ノ庄から密使が入った」 「阿波から?」 「其許も知っていよう。かの海賊岩松経家の手の者が、経家の密書をこれへもたらしてみえたのじゃ。それによれば」 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
書にも、それはたれとも明記はしてない。しかし前後の事情からみて、おそらくは、かの岩松経家の弟|吉致あたりの才覚ではなかったかとおもわれる。 いずれにせよ、高氏....
私本太平記」より 著者:吉川英治
いが、授与の筆頭におかれて、飛騨一国の守護と、十|所の地頭職をさずけられた者は、岩松経家 弟、吉致 のふたりだった。 これは、足利家と新田家の仲に立って、....
私本太平記」より 著者:吉川英治
には。 高ノ武蔵守師直、吉良|左兵衛ノ尉、桃井|修理亮、大高伊予守、上杉伊豆、岩松の禅師|頼有、土岐弾正、おなじく道謙、佐竹|義敦、ほか三浦、石堂、仁木、畠山....
私本太平記」より 著者:吉川英治
大輔義治。 ――そのほか、大館義氏、堀口美濃守、江田、額田、烏山、羽川、里見、岩松、武田などの宗徒の一族旗本からまた――在京の禁門軍、名和長年らの諸大名の兵力....
私本太平記」より 著者:吉川英治
は、始終、彼のそばにいた。細川、土岐、赤松、仁木の諸軍を督して、八幡をかこんだ。岩松|頼宥や山名時氏が来会したのもこの前後であり、義詮の陣営はいよいよふるった。....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
岐の配所が、島後か島前かなども、けりはつかない論争とうなずかれる。 阿波海賊の岩松経家の名を隠岐脱出の蔭にみることは、これまでの史書にも島のつたえにもない。あ....