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岸田俊子
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岸田俊子の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「婦人作家」より 著者:宮本百合子
境遇はつづいて、全人民による選挙と国会開設を求める自由民権運動に参加した十九歳の
岸田俊子(のち自由党首領中島信行・長城の夫人。号湘煙・中島飛行機製作所長中島知久....
「女性の歴史の七十四年」より 著者:宮本百合子
な政治的な経験と呼ばれるものをうけついで来ているのだろうか。 自由民権時代に、
岸田俊子その他の若い女性が活躍したことは周知のとおりだし、大正末期から昭和六七年....
「私たちの建設」より 著者:宮本百合子
の政治運動は、たくさんの婦人政治家を、その活動に吸収した。例えば有名な中島湘煙(
岸田俊子)、福田英子などという当時二十歳前後であった婦人政治家たちが、男女平等を....
「現実に立って」より 著者:宮本百合子
望に燃えた一団の人々は明治十四年(一八八一年)自由党を結成した。有名な中島湘煙(
岸田俊子)が十九歳で政談演説を行い、婦人政治家として全国遊説をし、岡山に女子親睦....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
留学におつかわしになったことや、十六歳で見出された下田歌子《しもだうたこ》女史、
岸田俊子《きしだとしこ》(湘煙《しょうえん》)女史があり、女学の道を広めさせられ....
「明治大正美人追憶」より 著者:長谷川時雨
つやばやし》にすぎないとして、下田歌子《しもだうたこ》女史は明治初期の女学、また
岸田俊子《きしだとしこ》、景山英子《かげやまひでこ》は女子新運動史をも飾る美人だ....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
のに入っているのよ、直そうと思って居ませんでした。「明治の三女性」はよみました。
岸田俊子のことなど、あれで大分学んで、明治初年の『女学雑誌』を上野で見て得たとこ....
「妾の半生涯」より 著者:福田英子
すらに進歩主義を採りぬ。 四 岸田女史|来《きた》る その歳《とし》有名なる
岸田俊子《きしだとしこ》女史(故中島信行氏夫人)漫遊し来《きた》りて、三日間わが....